主張

「都市的なるもの」を求めて

地域デザイン研究会 理事長 平峯 悠

 京都岡崎公園の疎水に沿った一画に京都会館が建てられたのは昭和35年のことである。建設当時にも評判となったが、今でも風景になじみ落ち着いた雰囲気を醸し出している。設計者は前川国男(1902〜1980年)55歳の時の作品であり、東京文化会館や丸の内東京海上ビル、埼玉会館など数多くの名建築を世に残した。この前川国男が古希を迎えた頃、作品集を出そうという企画に対し、未だ建築のことが分からないのに集大成的な作品集はおこがましいといったエピソードがある。昭和を代表する建築家でさえ分からないらしい。

 翻って、都市計画やまちづくりに携わっている多くの専門家の中で、都市やまちが分かっているという人は果たしてどれほどいるのであろうか。都市計画の先達として名前が挙がるのは、関一、石川栄耀、武居高四郎、高山英華などであるが、現在では都市計画の専門家として名前が挙がる人はほとんどいない。戦後、自動車を中心とした道路交通計画や土木系の行政都市計画が主流になり、都市そのものへの洞察や理念が疎かにされ、また都市を分かろうとする姿勢に欠けていることも事実であろう。特に昭和40年代からの日本の変革期に都市計画の専門家が明確な方向を示し得なかったことが、機能や効率を中心とした都市を生み出した要因でもある。私自身、都市計画に志して以来、「人間の幸福」を原点とし、「風土」「人間の行動心理」「都市の街路」などをキーワードとし、まちづくりに取り組んではいるが、道程はまだまだ達い。

 都市社会学者アンリ・ルフェープルは、出会いの場として、時には祝祭の場、時には孤独を噛みしめる場でありうる広場をイメージし、「都市的なるもの」という概念を提出している(1970年)。前川国男の建築設計にも見られるが、私たちが取り組んでいる都市やまちにおいて「都市的なるもの」とは何か。この概念がこれからの都市をつくっていくための、あるいは都市を分かるための重要なキーワードとなりうるのではなかろうか。全国的に都市化が進展する中、漫然と都市計画、まちづくりを進めるというより、「都市的なるもの」を明らかにし、それを具体化するというのは魅力的なアプローチである。

 地域デザイン研究会が提案した枚方市牧野駅前広場の整備計画は、鉄道駅と広場および建物を結びつけようとしたもので、これまでのマニュアルにある広場の概念を変える「都市的なるもの」のひとつであると考えてもよい。私たちがまちづくりで重要視している街路、街角・橋詰め広場、駅前広場、公園、LRT(市電を含む)、街並みなどはまさに都市的なるものである。ところがこれらを実現し具体化していくには、これまでの「量」や「機能」とは異なった発想が不可欠である。人々の暮らしや生活、行動・欲求の基本に立ち返り計画理念を構築し直さねばならない。

 石川栄耀は、「日本は西欧都市計画のベースともなるべぎ“広場と都市美”の時代約2500年が抜けている。この不幸を何によってとりかえすべきか。日本人の速足でせめて100年位で追いつきたいものである」と昭和29年の“改訂都市計画及び国土計画”の序文に書き記している。広場と都市美を「都市的なるもの」の中心に置きその必要性を説いてから既に50年が経過した。「都市的なるもの」の実現に向けて邁進することが私たちに与えられた責務であろう。


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