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大阪府 中尾恵昭

皆さんは「太陽の道」をご存じでしょうか。 そう、太陽の道とは日本列島の中央部、大和の三輪山麓にある箸墓古墳を貫通する東西約200kmの直線上(北緯34度32分)に、古代の祭祀遺跡が転々と並んでいる不思議なラインをいいます。ご存じのように箸墓は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓であるとの説で有名な古墳です。この太陽神アマテラスの祭祀に深い関わりを持った古代の「聖線」は、東端は伊勢の斎宮址、西は淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)に至ります。この2つの「伊勢」の間に室生寺、長谷寺、三輪山、桧原、国津、多神社、百済寺、二上山、萩原天神、大鳥大社が鎮座しているのです。

実は、私の住んでいる環郷集落がその線上にあるのです。まさに在所から東を見れば三輪山が臨め、あの悲劇の大津皇子を葬ったといわれる二上山(ふたかみやま)が真西正面に仰げます。春分と秋分にその付近から太陽が昇り、そして沈みます。ちなみに偶然ですが妻の大和橿原の実家も三輪山、二上山の線上に乗っており、何かの“縁”を感じます。 ご存知のように私の住んでいる大和高田は奈良盆地の真ん中にあり、東は大和青垣国定公園、西は金剛生駒国定公園、その麓にはそれぞれ山辺の道、葛城古道があり、南には吉野連山が連なります。万葉集にも謳われた大和三山(畝傍山を女性にたとえ、男性に見立てられた耳成山・天香久山が恋争いをしたという伝説が残る)もすぐ近くで相互に約3km隔てて三角形に位置し、その中心に藤原京跡が広がっています。

文化財、遺跡の宝庫に囲まれ、橿原神宮、明日香村、中将姫ゆかりの当麻寺そして法隆寺をはじめとする斑鳩の里などには車で30分もあれば到着します。私の好きな中宮寺「弥勒菩薩半跏思惟像」にも自転車で逢いに行くことができます。もう少し北に足を延ばせば古都奈良や西の京、南には最近世界遺産に登録された吉野熊野があります。

また、大和高田は難波津から飛鳥京、藤原京などに至る日本最古の国道「大道」が横断する位置にあり、飛鳥時代には難波津から松原、羽曳野を経て太子町、竹内峠を越えて中国や朝鮮半島の優れた大陸文化がこの道を通って伝来しています。遣隋使や遣唐使が行き交う外交の道として使われています。中世には自治都市・堺と大和を結ぶ経済の道として、また江戸時代には伊勢詣や山上詣が盛んに行われ宗教の道として利用され、文化が往来しました。

ここで言葉の文化、大和高田周辺の方言をご紹介しましょう。私自身関西弁はたいてい理解できるのですが、ここでは京阪神の人が解らない奈良言葉を取り上げます。「まわりする」と「とごる」です。前者は「帰るまわりする」といった使い方をし、これは帰る準備をする、支度するといった意味です。後者は例えば一升瓶に酒、醤油が底に溜まる、沈殿しているといった様をあらわします。実に微妙で細やかな表現だと思いませんか。他にも「あいやこ、けなるい、ちょんつくぼる、ちょける、どろこす、ねまる」等々が挙げられます。どうです、おわかりになりますか。語彙が豊富なことも文化の1つだと思います。

最近、このようなのどかな田舎にもおかしな風潮が見られてきました。最近目を覆いたくなる光景をよく見かけます。大げさかも知れませんが、文化の一端が崩れようとしています。 電車などの公の場での化粧、飲食、はたまた最たるものはプラットホーム、電車の床などどこにでも座るといった“貧相な”姿が目につきます。嘆かわしいと思っているのは私だけではないでしょう。躾をしなければならない中年の女性達は注意するどころか、数人揃うとお喋りに夢中で周辺の迷惑も顧みていません。 それから、何とかならないのでしょうかケータイ電話。電車の中でのべつ幕なしに喋るのは論外ですが、電源OFFが常識の優先座席でも一心不乱にメール、ゲームをしています。自分だけの世界に入り込んで周りが見えなくなっているようです。常にケータイに触っていなければ不安で落ち着かない、ケータイ依存症、まるで赤ちゃんのおしゃぶりのようだと解釈します。その姿は“さもしい”限りです。女性専用車両をつくるくらいなら、せめて携帯電話が機能しない専用車両を走らせて欲しいものです。使って便利で、これから益々多機能となり、生活に不可避なアイテムになることでしょう。ただ、利便を享受している反面、常に強迫観念に襲われているように思え、先々がそら恐ろしいと感じているのは私だけでしょうか。人々は生涯、携帯電話の呪縛から解き放たれないのではないのでしょうか。モノ溢れの中で何らかの精神的な支えが必要なのではないかと思います。

最近いつの間にか自分より若い世代が大半を占め、周りを見ると自分が一番年上だと気づき唖然とすることがあります。ということは自分の世代の考え方が通用しないだろう世代の方がはるかに数多く大勢を占めているのが現状です。 世の中が変わるにつれ常識や作法は変化するものだとは思います。ただ、変わらないもの、変わっては、また変えてはならないものもあるはずです。望むらくは、せめて聖と俗、上と下、公と私の区別、めりはりをつけて欲しいと思うこの頃です。


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