まちづくりの世界に「達人」は無縁か

地域デザイン研究会 理事長  平峯 悠

 現在の日本を支えているのは、長い歴史のなかで培われた暮らしの技術である。温暖な気候風土、四季の豊かさ、地形の特性は日本の文化そのものにも影響を与え、衣食住の生活の型や形を生み出すと共に、それを作り上げる「達人」や「匠(たくみ)」を生みだしてきた。達人というのは、学術または技芸に通達した人、広く物事の道理に通じた人、人生を達観した人とされており、その境地にいたるのは容易でない。

 最近刊行された「達人の世界(産経新聞社)」には、コーヒー鑑定士という食の達人から、伝統技術、道具、ハイテク、生活にいたる各部門の「達人」26人が紹介されている。いずれも「この道でなら、誰にも決して、負けない」と言いきれる人々であり、その達人たちの誇りと自信には心から感服する。共通するのは、世の中に広く役に立つものをつくる、そのためには五感や感性を大切にし、人工物が氾濫する中で本物にこだわり続けるということである。その根底に流れているのは長い歴史の中で蓄積された日本人の伝統そのものである。

 しかし最近では「部屋探しの達人」「株の達人」「買い物の達人」など使われ方が安易すぎる。達人は広く物の道理にも通じなければならないため、堀江某、村上某などは論外である。経済効率重視、大量生産さらに大量消費が広く行き渡っている現在、日本人の根幹を形成する伝統産業や物づくりの中で達人の域に達している人々を尊重し、その技術を継承していくことがこれからの大きな課題である。

 一方、多くの人々が生活し活動する場としての「まち」も広い意味で「ものづくり」の対象でもある。中世から江戸期に建設された城下町は、都市の原型のひとつであるが、山城、平城であれ、その町割り には多くの工夫がされている。建設にあたっては各地から多くの工匠が集められ特徴ある造営事業が行われた。織田信長に従って本能寺の変で殉死した大工岡部又右衛門は安土城の天守の造営にあたったが、その子孫や工匠などは徳川幕藩体制のなかで普請・作事方の技術者層を形成してきた。その中から「達人」「名人」「匠」と称された多くの技術者が生まれ、それが近代日本を支えたといって過言でない。

 以前の都市やまちには生活のルールが明確で、それが空間配置、施設立地などに反映されていたため、都市やまちを読み取り、まちづくりのための修練や訓練をしていけば、優れた都市計画家になることができた。子供たちが安全に通学し遊ぶことのできる「みち」、公園や河川等のみどりや自然、学校や交番、住宅地の配置、繁華街の作られ方や界隈性など、まちには必然的に備わった作法やルール、住まい方の伝統が存在する。それを実際に読み取り具体化できる人は「まちづくりの達人」と呼ぶにふさわしい。

 車の便利さや目先の事柄あるいは経済効率などに毒されず、まちの活動や配置あるいは生活の仕方などにこだわり続け、じっくりと取り組んでいけば、達人の域に達するのは難しいとしても「まちづくりの上手」「手練れ者」となることはできよう。

 地域デザイン研究会の「まちを視る」分科会の意味は、事業として成功したかなどの評価というよりも、まちにどのような伝統や文化、人々の思いが実現できたかを問うことであり、分科会の積み重ねが「達人」を生み出すきっかけとなればと思う。

 まちづくりの世界でも「達人」がうまれることを期待したい。


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