主張

まちづくりの方向を問い直す

地域デザイン研究会 理事長 平峯 悠

 これまで潮騒等で主張してきたまちづくりの方向を簡潔に要約すると、社会や都市の歴史を振り返り、都市の原型とも言うべき街路や広場などの都市的なるものを柱に、人間中心の都市に作り替えていくこと、このためには地域デザイン研究会における多様な人達のなかで世代を超えて常に議論し、具体化していくことであると主張してきた。しかし最近の日本社会は、経済的な豊かさを達成したものの、中身はどうにもならないほど壊れかかっており、それがまちづくりまで影響し、表面的で部分的なまちの修復はできても日本人の多くが納得する豊かなまちにはなれないのではないかという無力感に陥りかけている。

 マークス寿子は、「金がすべての世の中になり、地方都市はミニ東京化し、日本と日本人はふるさとを失い、現代が進んだ社会という幻想を持ち、ゆとりのないせっぱ詰まった生き方をしている」とバブルに翻弄され変質し始めた日本人に厳しい批評を加えている(「日本はなぜここまで壊れたか」草思社)。阿久悠氏も着飾っておいしいものを食べ遊びほうけている人がもっとも偉い人、正直で勤勉に仕事をする人を野暮だという現在の風潮に警告をならす。私はまちづくりの観点から、社会を破壊しているのは経済至上主義の蔓延と野放図なクルマ社会にあると考えている。

 日本は経済的には最も成功した国の1つである。しかし1958年から1989年の30年の間に一人当たりのGDPは5倍に増えたが、人々の幸福感は変わらないかむしろ低下しかかっているという。経済の発展と幸福は必ずしも比例しない。特に日本では外国に比べその傾向が強い。情報技術をはじめとする近代文明はこれからも発展するであろうが、人々の暮らしの豊かさとは別次元のものである。11月30日国連大学で「寅さんが旅したまちから考える元気なまち」シンポジウムが環境省主催で開催されたという記事が載っていたが、日本と日本人の原点を思い起こさせる面白い企画である。しかし映画では素晴らしく表現されていても、まち全体から見れば「点」として残っているだけで、これ以上車社会や経済活動が進展すれば遠からず消え去る風景であるかもしれない。

 先日、四国松山市を視察する機会を得たが、都市全体の目指すべき方向を「坂の上の雲まちづくり」と明確に宣言し、その目標に向かってすべての施策が集約されている。特に路面電車が市民の足となっていることから、交通特区をはじめとする公共交通を中心としたまちづくりが着実に進められている。路面電車の利点は、道路の真ん中にある停留所に人々が集まってくることにより、道路空間に人間と電車及びクルマが共存・共立できることである。これが街路そのものであり、「豊かなまち」の根幹施設となる。交通手段と見る人が多いがそうではない。市長はじめ様々なアイディアを実行するまちづくりチームの人々やそれをサポートする松山市の市民・NPOの人達が新しい仕組みをつくろうとしていることに、絶望的になりかけていたまちづくりに光明が見えたと言っても過言でない。

 関西の各都市でLRT導入によってまちの再生しようとする動きも見られるが、これまでの組織や仕組みのままでは実現は不可能であると思う。都市や地域の目標と社会全体の価値観を共有し、歴史の歯車を戻し利便性を犠牲にしても、まちの再生のため市民、住民、企業、行政が結集できる仕組みをつくることが必要である。 共存・共立の新しい仕組みづくり、これがまちづくりすべての基本的な方向である。


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