主張

 賞味期限

 岩本康男

 このところ旧式のガスストーブの不完全燃焼による一酸化炭素中毒が多発している。いずれも昭和40年代とか50年代、あるいはもっと前からのものもあったかもしれないが、相当古い型のもので、変に修理したものも多い。

 旬を過ぎた私など、賞味期限切れのお菓子には妙に愛着を感じて、捨てずにたいていは食べるが、不二家のケーキの原料となる牛乳の賞味期限が1日たっていたと大騒ぎする国民が、どうして電気やガス製品の賞味期限というか耐用年数を問題にしないのだろう。どんな機械だって10年も使っていたら劣化する。クルマなど2、3年で車検に出すではないか。もっともこれは税をとりはぐれしないためと、業界の仕事のための制度となっていると勘ぐられても仕方ない。しかし、もっと日常的に使用する工業製品のメーカー責任は商品が家庭に存続する限り無限なのだろうか。

 家庭内には賞味期限をつけるべきものがあふれているが、街中ではどうだろう。都市計画についての制度は、都市再生特区のような10年の期限を付けているものもあるが、一旦決めたら無限だ。街の建築ボリュームをコントロールしているのは容積率という概念で、道路や公園、上下水道、学校など都市施設とのバランスを考えて決められている。立派な道路に面して高層の建物が建っていくのは望ましいことだが、問題は容積率が面的にも指定されていることだ。ニュータウンのように敷地の条件が一定ならいいのだが、既存の市街地では小さな土地が大半で所々大規模な土地がある。戸建てが連担する街に突如として高層マンションが建つ。隣に大きなお屋 敷があるところは危ない。銀行の寮も危ない。土地を買ったディベロッパーは容積率を目一杯使わなければ何だか損をした気がするし、その上総合設計制度もある。街の景観もコミュニティーも劇的に変わる。

 古くからの住宅地や準工業地域では容積制よりも高さ制限のほうが、統一性のある街や、街のイメージの継続には有効と思う。敷地内の空地はそんなに貴重なものだろうか。長屋、かっこよく言うとテラスハウスでも敷地を有効利用できる。なにも上に積まなくてもいいのではないか。

 容積制度が街全体に定められたのは昭和45年で、もう既に30数年たった。人口がどんどん都市に集中してくる時代でもない。都市施設もかなり整備が進んだ。戸建より高層住宅のほうが文化的な生活を送ることができるわけでもない。全国一律のルールでなく、東京都心部のルール、地方の小都市のルール、郊外部や古くからの市街地のルールなどで街の個性に合った手法を選択するようなやり方はできないものだろうか。地区計画とか建築協定など特別のルールを持ち込むのには大変な労力と時間がいる。法体系そのものを見直したほうが効果的だ。

 都市再生とは、まちづくりに係わる者の意識を変えることにある。一番大切なのはまちづくり担当者の再生なのだ。4半世紀ごとに制度を一旦ゼロから見直して、それがなお有効な手段だったら引き続き使ったらよい。電化製品の耐用年数から随分外れてしまったが、まちづくりのルールも最適の手段かどうか賞味期限を意識しておきたい。どちらもユーザーからの声にもっと耳を傾けなくてはならない。


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