老舗(しにせ)

平峯 悠

 阪神・阪急の経営統合、外資系ファンドによる買収、企業防衛のための合併など企業の経営環境は大きく変わりつつある。銀行は元の名前を思い出すことが不可能なほど再編が繰り返されている。一方では、負債1000万以上の大型倒産の件数は2006年には9351件、中でも建設業が2606件(27.9%)と最も多く、次いで小売業、サービス業と業界の盛衰は激しさを増す。

 企業が生き残るのは大変難しいと言われるものの、日本国内で創業百年以上の会社は現在10万社以上あるという。創業千年以上の京都の仏具店や和菓子店、最先端技術で現在の携帯電話に使われる折り曲げ部分の「銅箔」は元禄時代からある京都の「福田金属箔粉工業」、聖徳太子の時代から宮大工の総元締めで日本最古の建築会社「金剛組」は大阪にある。四天王寺を建立したと言うから実に千四百年の歴史を持つ老舗中の老舗である。(*1)

 老舗には先祖代々の業を守ることと社会の変化に対応してモノを提供し、繁盛することが必要であるが、野村進氏は「百年以上の老舗は諸外国に少なく日本に集中している。植民地主義に支配された国や地域には老舗は育たない。東洋諸国はかってイギリスやスペインなどの植民地支配にあり、外国の企業が入れ替わり立ち替わり支配してきた結果、老舗といえる企業は存続できない」という。

 日本が幕末西欧諸国の植民地にならなかったのは幸いであったが、なぜ植民地にならなかったのか。日本は古くから、自分たちの哲学や世界を指し示す手本として「中国」を意識してきた。この中国をアヘン戦争でイギリスが簡単に打ち破ったため、侍出身の当時の知識人にとっては西欧諸国が最大の脅威となり、国をまもるという一念で明治維新を成し遂げた。佐賀藩ではじまった武器製造事業は植民地化と外国の蹂躙を許さないという強い意志のあらわれであるが、そのやり方はオランダから鋳造法を書いた「書物」を手に入れ、そのとおりに忠実に再現するという方法をとった。基礎力学や構造的知識なしで反射炉を忠実に図面通り作った結果、もろくも壊れるという失敗を何度も繰り返したそうだ。その作業に従事したのは伝統的な日本の職人、鋳物師、大工、石工であり土着の技術者であった。(*2)

 滑稽な話であるが、私たちの祖先はたいしたものだと思う。

 明治以後今日まで日本が技術大国として成長できたのは、伝統と技術をもった「老舗」が有ったことによると言っても過言ではない。老舗にはそれぞれ家訓があり、日本独特の価値観や社会倫理がある。分をわきまえ儲け主義にははしらない、顧客との間の信用を大切にする、このような考えは西欧諸国あるいは中国(華僑)の企業観とは相容れないであろう。

 経済のグローバル化、国際競争のなかで日本の伝統や老舗が存続できるための知恵を出し、新しい経営理念を打ち出していかねば経済や生活の面での植民地になる可能性がある。老舗を育て守っていくのは地域そのものである。

*1「千年働いてきました−老舗企業大国日本」野村進著 角川書店
*2「日本近代技術の形成〈伝統〉と〈近代〉のダイナミックス」中岡哲郎 朝日新聞社


HOME  潮騒目次

inserted by FC2 system