主張

もっと議論を!

地域デザイン研究会 理事長 平峯 悠

 昨年の安部政権誕生以来、注視していることが2つある。1つは、小泉政権の積み残しともいえる道路特定財源(ガソリン税)の一般財源化、もう1つは、安部首相が政治理念として掲げた美しい国づくりである。

 ガソリン税が道路整備の目的税として導入されたのは、昭和29年田中角栄代議士が提出した議員立法にはじまる。50年以上前にどのような議論があったかを知る人は殆どいない。日本列島改造論の中で田中角栄は「政府固有の予算編成権を拘束する目的税は憲法違反であるという反対論があり、これに対し私は、将来の国土や交通のあり方から不可欠な税制であるとして、一人で衆参両院での長期議論に立ち向かった」という。これを契機とし、交通即ち自動車と鉄道に関する議論が高度経済成長期には活発に行われた。特に宇沢弘文氏の「自動車の社会的費用」は名著といってもよいが、以後、自動車や交通に関する見るべき論が消え失せてしまった。

 昨年12月8日、道路特定財源の一般財源化に関しては、現行の仕組みを‘08年の通常国会で法改正するという閣議決定が行われたが、これに対するマスコミの論調や世論は、道路族の既得権益を温存し、政治と金の元凶で談合や政官癒着の温床にメスを入れることはできないといった枝葉末節の評論・批判にとどまっている。また国土交通省は道路財源死守の立場で根回しをしている。

 今回のガソリン税の一般財源化を国土・都市計画の視点や根元的な交通問題としてどの程度議論されたか、国民・市民も真剣に議論しているとは思えない。唯一、まさにその通りと賛同したのが、18年12月13日付け毎日新聞の「時代の風」に投稿された科学技術文明研究所長の米本昌平氏の論である。「田中角栄からの決別だとすると、これに角栄級の理念を対置させる必要がある。その基軸の1つは、21世紀文明は自動車をどう位置づけるかという価値観の問題になるはずである」とし「現在の日本は、自動車に対する根源的な懐疑をほぼ完全に払拭した希有な先進国である」と自動車に対する基本的な問題を再提起している。

 しかし現在では,大半の日本人は全くといってよいほど自動車に対する懐疑や疑問を持たない。従って公共交通問題も上滑りの議論でしかない。新聞の声の欄にも注視しているが、これまで「ドイツで痛感、自転車日本の幼さ」「歩行者を脅かす自転車の歩道歩行」「クルマより人を大切に」という主張がちらちら載る程度である。

 もう1つの課題である「美しい国日本」という安部首相の提起に対して、その取り上げ方は、美しいとはどういうことか、具体性に欠ける、抽象的な観念ではなくはっきり示すべきである等である。日本人として他人事のように受け止めている人も多い。要するに精神性を含めて、美しい日本をまともに議論するだけの力も素養もなくなっているのかもしれない。日本の風土に起因する自然観や精神的価値観が失われ、まちが混乱し、品格や品位という言葉も死語になりかけている現在、美しいというキーワードで世代を超えて真剣な議論を始めなければならない。

 公共交通問題、景観、環境などまちづくりの大きなテーマであるが、その大本である自動車文明のあり方や美しい国とは何かという根源的な議論が不可欠である。財政的に逼迫している今こそ官(行政)が率先して議論を巻き起こすべきであると考える。もっと議論を!!!


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