趣味のこと あれこれ

下条章義 (セントラルコンサルタント)

 仕事が日々の行動の中心にあった、いわゆる現役世代から次第に離れつつある。そんな暮らしの中で様々な趣味に時間をさく割合が少しずつ増えてきた。

 人それぞれに様々な趣味、余技をもっていることに驚かされる。大半の友人はゴルフ、釣、登山、ジョギング、(海外)旅行、アスレチック、囲碁、将棋、マージャン、パチンコ、カラオケ、絵画、写真、版画、陶芸、書道、音楽〈鑑賞、演奏〉、ダンス・・・。中には寺社・仏閣巡り、スキューバダイビング、ハンググライダー、天文観測など、エッと驚かされるような趣味を持っている人にも時々出会う。そんな人たちとの交遊から趣味が生活の中で大きな楽しみとなり、潤いを感じ、時には老後の生きがいにさえなっている方もいるように思える。

 趣味に対する取り組み姿勢も人様々のようだ。趣味が一種の気楽な楽しみ、友人との懇親や人間関係の円滑化などを媒介するという点に価値を置いているタイプの人と、やはりやる以上は上達、進歩、目標達成などに努力するタイプの人といるようだ。私はどちらかというと後者のタイプと自己判断しているが、ものによっては前者の場合もある。趣味に一所懸命、汗水流して努力するなどと言うのは趣味ではないという考えもあろうが、やはり「私の趣味は○○です」という以上は、人並みのレベルに、さらには上級者になりたいと思うのはごく自然な姿勢でしょう。

 そんな思いを抱いていたが、最近「上達の法則」(岡本浩一著・PHP新書203)という本に接し、納得す
ることが多々あった。紹介がてら、個人的感想を述べてみたい。

◎上達の基本となる練習について

<技能習得のための練習(学習、トレーニング)の頻度は、忘却の時間関数から1週間に1度では上達しないわけではないが、大きな上達は望めない。週に2度にすれば、週1度の場合と比べると上達の速度は雲泥の差となる。週に3度は、2度に比べればそれほど大きなメリットはない>

 自分のゴルフに当てはめれば週に1度の打ちっぱなしだけでは効果的練習ではないようだ。更に週に1回、実践ラウンドでも加えればシングルプレーヤーも夢ではないと言っているのではないか?(甘い幻想?)

◎上達を目指す様々な取り組みとして

<反復練習する>

 単純な愚鈍とも思える反復練習は技能の安定的な向上に必須だという。まあ当然ですね。

<理論書や解説書を読む>

 著者は通常その領域に明るい人だから同意する場合が多い。しかし妄信せず、上達に必要な自分の課題を意識していれば批判的に読むことで上達のきっかけとなる場合もあると思う。

<上級者やプロの立場に立って観戦、鑑賞する>

 感情移入と言うらしいが、上級者やプロの当事者の気持ちで次の動作、対策を考えてみるという仮想実践のことだろう。

<マラソン的な鍛錬をする>

 時には○○バカになって集中練習、合宿特訓することも効果的らしい。

<少し高い買い物をする>

 弘法は筆を選ばないが、我々には道具の効用は経験するところで、良い道具は当然高価である。妥当な範囲で少々、贅沢を楽しむことで秘かに自分にプレッシャーをかけ、やる気を高め、打ち込む姿勢を継続させるとも言える。

<何もしない時期をいかす>

 スランプに陥った時や、もうワンステップの上昇を目前にした上昇滞留期は、思い切って何もしない時期をつくるのも必要だという。しかし、いつもスランプか上達の止まっている状態と意識する時はどうしたらよいのだろう。

◎上達を目指す努力の結果として

<何か1つ、技能の上達を必要とする趣味で上級の域に達した人は、その過程で人格的な安定感を身につけている。日々の生活の中で上手に時間をつくり、情熱を数年にわたって静かに燃やし続けるという生活の継続によって生まれる安定感である>

 一芸に秀でた人は人格者だとか品位があるとか良く聞く。好きな趣味の上達のために、永年の努力が人格や品位の向上の一助にもなっているとは趣味の隠された効用であろう。


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