私の妄想

戸松 稔 (地域・交通計画研究所)

 歴史学者、千田稔の講演(7月31日、国土交通Day記念講演)を聞きに行った。日本は科学技術立国などの一過性のものを自慢せずに、DNAにある“こまやかさ”を大切にすべしという切り出しから始まった。しかし「“こまやかさ”にはマイナス面もあるのでは?」の思いに取りつかれ、妄想が暴走を始めてしまった。

 今にして思えば冷や汗ものだが、三十数年前の米谷先生の助手時代に、都市計画の教科書作成を分担した。都市計画では、線引きで市街化を促進する区域と抑制する区域を仕分けし、また商業化を図る地域等を地域地区として指定する。いったん指定されたこれらの区分がきちんと守られてきたかというと、なし崩し的に調整区域が市街化区域に、住宅地が商業地に変更されてきたように思われる。またグリーンベルトの構想はいつの間にか聞こえなくなった。この背景に、画一的な線引きがもたらす不都合な部分を見過ごせない日本人の心情もあったのでは、という気がする。いわば、欧州の恒久性を前提とする都市計画の原則が、日本では、“こまやかな”心情ゆえにゆるやかなもの、一貫性を欠くものとして定着してしまったように思われる。

 京阪神都市圏の第1回物資流動調査と第2回パーソントリップ調査の狭間(1978、79 年度)で、交通運営計画調査を建設コンサルタントの一員として担当した。現在のTDM に関する調査であり、Transportation Demand Management を当時は交通運営計画とか交通管理計画と訳したのである。この調査で我々が作成したTDM手法の体系図があちらこちらで引用されたが、無断引用ばかりなので憤慨した記憶が残っている。

 TDMの考え方の根幹に自動車交通抑制の考え方がある。しかし、TDM が有力な交通施策として定着した現在でも、日本では都心の自動車の流入禁止や流入車両に料金を課すプライシング等は実現していない。実現しているのは掛け声だけのノーマイカーデーや、よかったら使ってください方式のP&R等の無難な手法ばかりである。車の通行を禁止したり新たに課金をしたりすれば、不利益を被る人が出ることはどこの国でも同じであろう。日本で抑制策が実現しないのは、反対者の意見も一理あると認めてしまう日本人の“やさしさ”に一因がありそうに思われる。

 私は1983年に会社を興して以降、主に道路計画の業務を担当した。阪神高速道路淀川左岸線の都市計画決定等が思い出の業務である。当時は道路整備の必要性は明らかだったし、自動車の利用環境を整えていく事は、モビリティの向上を通して生活の質の向上に寄与すると考えていた。しかしながらフランスやドイツの都市交通施策の成功例を見ると、自動車の位置付けの格下げの必要性を痛感する。ブキャナンレポートでは明らかに自動車を高く評価していたが、欧州は40年の内にその価値観を変化させている。然るに日本では、道路財源の議論にせよ都市計画3法の改正の議論にせよ、自動車の議論を避けているように思われる。必要なのは徒歩・自転車重視、公共交通重視の考え方に基づく大鉈なのだが、日本人の“やさしさ”は一刀両断的な政策変更を苦手としているのかもしれない。

 千田稔が私の妄想を知れば、「自分の言う日本人のこまやかな心とは意味が違う」と怒り出すかもしれない。
千田稔の追っ掛けを始めなくてはなるまいか。


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