近江八幡のまちを視察

まちを視る分科会

 


八幡堀の横で深尾氏の説明を聞く


八幡堀


かわらミュージアム

「まちを視る」分科会は、フィールドワークを9月22日に行いました。今回は地域デザイン研究会会員の八千代エンジニアリングの石塚さんのご紹介で、近江八幡市役所の風景づくりリーダーの深尾さんに案内していただき近江八幡市八幡堀界隈(伝建地区)を見て歩きました。9月も後半だというのに当日は真夏日のような暑さの中、13名の参加がありました。

 近江八幡市は滋賀県の中央部、琵琶湖の東岸の湖東平野に位置し、豊臣秀吉の甥の秀次が八幡山城の築造と城下町を建設し、八幡堀を運河として利用することにより、琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡の町に寄港させ、商人の町として栄えました。その八幡堀も昭和30年ごろからの高度経済成長期後にどぶ川のようになり、昭和44年に埋め立ての計画が出て、昭和48年には埋め立てが始まりました。しかし、復元署名やボランティアによる清掃活動等の市民運動により、昭和50年に堀の全面浚渫が決定し、昭和57年に国土交通省の「水緑都市モデル事業」に採択されました。

 地域では保全運動やボランティア活動が活発に行われ、行政は平成15年に景観条例を策定し、平成17年に景観法に基づく景観計画全国第1号の「水郷風景計画」の策定、また「近江八幡の水郷」が文化財保護法に基づく重要文化的景観全国第1号となりました。次に、平成18年には景観法に基づく景観農業振興地域整備計画第1号である「水郷地区景観農振計画」を策定、平成19年に「伝統的風景計画」策定するなど、近江八幡の風景づくりの施策、事業に取り組んでいます。

 JR近江八幡駅から車で5分ぐらい走り郷土資料館前で降りて、深尾さんと合流しました。その前には八幡商人の中でも豪商であった「旧西川家住宅」と「旧伴家住宅」がありました。八幡商人は近江商人の中でも歴史が一番古く、近江八幡を拠点(本店)として、日本全国各地から現在のベトナムやタイなどの海外でも活躍したそうです。また、兼業を行わず商売だけを行い、信用を第一と考え、地域貢献に心がけたそうで、今でもその精神は受け継がれているようです。

 そこから歩いてすぐの所に八幡堀があります。まるで時代劇の世界にタイムスリップしたような光景で、年間30本以上の時代劇のロケが行われているそうです。しかし、観光用の和船については本物を追及されている堀尾さんの意には添わないようでした。

 近江八幡市の風景づくりへの取り組みは、40年前の埋め立て計画の際の住民運動に始まります。風景づくりの考え方は、観光を目標とはしないで地域文化の承継により本物を残すことであり、それにより地域住民の住み心地を良くすることだそうです。観光客を目当てにする偽物のまちづくりであれば長持ちはしないとの考えから、本物思考が受け入れられ、今では年間約300万人の観光客が訪れるようになりました。

 途中で近江八幡市の特産物である八幡瓦を展示している「かわらミュージアム」を見学し、しばらく涼んだ後、明治の洋風建築で有名なヴォーリズ建築や、格子戸や見越しの松、うだつなどが並んだ八幡商人が住んだ街並みを通り、酒遊館に行きました。

 酒遊館で深尾さんからまちなみの保存形成と景観法の活用などについて話題提供をしていただきましたが、まちに愛着を持ち、あくまで本物を追及する熱意に一同感心してしまいました。その中でも沖島の素朴で暖かい生活の話には特に興味をそそられました。

 今回は時間の関係で「伝統的建造物群保存地区」の見学だけになりましたが、次回は水郷地帯や沖島をぜひ訪れてみたいものです。 酒遊館での懇親会では、地酒と近江牛を堪能し、フィールドワークの感想やメンバーの近況など会話も弾み、宴たけなわのなか散会となりました。

(文:まちを視る分科会 主査 茂福隆幸)

※今回のフィールドワークの議事録は、HP等で公開しております。
http://www.npo-rdi.com/WatchTown/070922Omihachiman.htm


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