まちを視る 長田FWを実施

「まちを視る」分科会 主査 茂福隆幸

 「まちを視る」分科会は3月1日、神戸市長田地区を対象にフィールドワークを実施しました。今回は当研究会会員の片瀬範雄様の紹介で、「神戸市長田区に見る中小地場産業と共存する住環境整備」をテーマに、震災復興後の長田区再開発地区および区画整理地区と住民によるまちづくりの先駆けである「真野地区」を視て歩きました。3月に入りまだ肌寒い中、17名の参加がありました。

●40年間続く「真野地区まちづくり」

最初に訪れたのは真野地区で、「真野地区まちづくり推進会」事務局長の清水様から話題提供していただきました。真野地区は長田区南部に位置し、住工混在の下町で約40haの1小学校区に300社近い中小零細工場と老朽長屋を主体とする住宅密集地でした。1960年の人口ピーク時に13,500人であったのが、2006年には4,300人に激減し、小学生は1,800人から150人に減少するという典型的な少子高齢化のまちとなりました。

1965年に公害反対運動から端を発した住民運動が公園づくりや緑化推進、児童の健全育成、障害者問題に発展し、1970年から行政に先駆けて老人の介護問題に取り組み、1980年に本格的なハードな取り組みとしてまちづくり推進会を発足して「真野まちづくり20年構想」を提案し、住民によるまちづくりを進めてきました。この構想は住民主体で策定したもので、アンケート等は行わず何十回にも及ぶ意見交換により決定したもので、20年という長期計画が住民には総論賛成で受け入れられたようです。

住民主体のまちづくりを始めて40年続いてきたのは、常に10年先を見通す先見性をもった優れたリーダーと市とのパイプ役となる優れたコンサルの存在、そして何よりもまちを愛する住民の善意があったことがその要因であると感じました。


清水事務局長から真野まちづくりを聞く

真野地区のまちなみ

新長田駅南地区

●地域コミュニティの大切さを実証

1997年の阪神・淡路大震災では、住民の連携による人命救出や消火活動により、死者19名で火災は0.3ha、43戸の最小限に食い止めました。小学校に震災対策本部を設置し、救援物資の受け入れ体制、瓦礫の撤去、道路の確保、避難所の運営等を行ったそうですが、これも普段からの様々なまちづくり活動による地域コミュニティのお陰だと思われます。

2006年には地区への暴力団事務所進出に対し、600人規模の住民集会や187日にも及ぶ夜間パトロールによって、1年も経たないうちに組事務所移転に成功しています。

話題提供の後にまちを歩きましたが、拡幅された道路や公園、鉄筋のマンションはありますが、車が入れない路地や長屋がまだ多く残っていました。

●新長田駅周辺は別世界の様変わり

次に訪れたのは新長田駅南地区の震災復興再開発地区と駅北側の震災復興土地区画整理地区です。真野地区に隣接していますが、高層マンションや整備された商店街、ショッピングセンターがあり、まるで別世界のようでした。長田駅北は約8割の建物が倒壊や火災で被害を受け、土地区画整理事業により道路公園の整備と建築が進み、まったく新しいまちができた感じがします。

●シューズ産業復興、にぎわいづくり目指す

その後、「靴のまち長田」の地域活性化拠点施設の「シューズプラザ」で専務理事の森様より話題提供をしていただきました。長田の靴はケミカルシューズ発祥の地として全国的に有名で、ピーク時の昭和40年には地域の90%以上が靴産業に従事し、1,500以上の事業所がありましたが、震災で壊滅的被害を受けました。事業の取引が途絶えないように、行政支援として仮設工場170工場や本工場240工場の建設、家賃補助、拠点施設としての「シューズプラザ」の建設を行いました。ここでは震災前のようなシューズ産業を回復し、にぎわいのあるまちづくりを目指し、多くの事業に取り組んでいます。

FW終了後には、恒例の「懇親会」を行いました。今回は、片瀬様ご推薦の「焼肉 阪神」で15名の参加がありました。フィールドワークの感想やメンバーの近況など会話も弾み、宴たけなわのなか散会となりました。

 ※詳細は議事録としてHP等で公開いたします。


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