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即席参籠記

STUDY21 高岡邦彦

 「ガッターン」。突然の大きな音に、夜もとっくに更けて暗く、長時間静座し続けていて疲れて、会いたがっていた上下の瞼が、急いで元の位置に戻った。御堂の内陣から出て来た練行衆(れんぎょうしゅう)の僧の一人が、祈りを捧げる五体投地の仕草を行った際に、堂内に大きく響き渡った乾いた音であった。

 日は3月2日、時は午前0時半、所は東大寺二月堂外陣、場合は修二会(しゅにえ)式の初日(3月1日)の行の最後に近い頃。「町と宗教施設の関係の分析」分科会(略称Study21)の一員である中尾さんの友人の斡旋で、この有名な修二会式、俗称“お水取り”を、二月堂の堂内で参籠し見学する絶好の機会を得たので、本分科会活動の一環として参加していた。 何せ由緒ある宗教儀式、御堂の回廊で行われる「お松明」が終わった後、堂内で本格的に行事が進められるが、見せ物ではなく、拝観する場所の制約もあり、人数も限定され、当然品位ある行動と静粛さを要求されるだけに、入場の門戸は堅いのだ。

 冒頭の音の余りの響きの良さに、暗闇の中を目を凝らして見れば、御堂の床そのものに身を投じているのではなく、歌舞伎舞踊時の鳴り板のような特別の板に、布団状に布を敷き重ねて、その上に右膝から落ちているのだ。そりゃ床に直接叩き付けたら、痛くて堪らないし、音がこれほど響かないだろう。今まで堂外に漏れ聞こえてきた大きな打撃音に、僧侶達の真摯な帰依・祈願の表明と受け取ってきたが、こういう内実があからさまにされると、御威光が若干薄れそうだ。

 実行する練行衆11名は、真白な下衣のうえに真っ黒な衣、さらにはその上に燻し金の袈裟を羽織っている。殆どの行事を、秘仏である十一面観世音(観自在とも)菩薩を祀っている須彌壇の周囲の内陣の中で行っている。それを取り巻く外陣に端座している私達は、僧達の読経の声や、動き回られる時に響く木製のサーボ風の履物の立てる音や、それらの緩急、更には内外陣を遮る生成の布帛の帳に写る衆の動きで、儀式行為の進展を推察するという、まどろっこしいことをしていた。

 それにしても、このお水取りは、天平勝宝4年(752)の大仏開眼の年に、第1回が催され、今年でナント1257回目に相当し、地震で大仏の首が落ちたとか、内戦で二度も大仏殿の炎上焼失があったにも関わらず、一度も途絶えることなく、続けられてきたという世界でも希有な行事なのだ。

 この通称の起こりは、若狭の国の遠敷(おにゅう)の神宮寺で「お水送り」の儀式を3月2日にしたら、二月堂の下にある若狭井という井戸から、閼伽水が湧いてきて、これを12日の夜半過ぎ、本尊にお供えすることから、こう呼ばれるようになったとのこと。何せ信仰のことだから、事実関係なんて、それほど重要ではない。要は信じるか信じないかの違いだけであろう。

 ところで旧暦2月に執り行われる修行として修二会が、正式名称だと思っていたら、あくまで儀式の名前であって、内容からすると、また別だそうだ。本尊十一面観世音菩薩の前で、日常犯している様々な過ちを懺悔する「十一面悔過(けか)」というのが、その目的であるそうだ。

 もっとも東大寺は、鎮護国家等の国策祈願の場として建てられた寺院であるから、個人的な過ちを指すのではなく、国家や万民に対してのものである。天災や疫病の流行が、国家の過ちの反映と見なされ、それらからの回避を願うことや、国民の安寧には不可欠な五穀豊穣と、結果としての万民為楽を願う行事となったのだ。

 東大寺傘下の塔頭から選ばれた11人の執行僧は、練行衆と呼ばれ、各人にはこの行事での役割が決まっている。これを経ずして、またこれのリーダーを経ずして、華厳宗管長並びに東大寺別当(最高役員)は勤まらないと言うのだから、一宗派内の行事としても大変重要である。14日間の日毎に、行事内容に多少の違いはあるが、練行衆が唱えるお経は、日頃私共が耳にする物ではなく、諸種のお経からの抜粋集だそうだ。その中で一番大事な部分は、十一面神呪心経からの抜粋であるので、平安・鎌倉仏教に支配されている私共にとっては、珍紛漢である。

 また宝号を唱える時、大導師と他の僧達とが、掛け合い風にするのが面白かった。初めは「南無観自在菩薩」と唱えるのを、意味を考えずに「南無観」と「自在菩薩」とに分けて言うのだが、今回は大導師の声がテノールで朗誦され、暗い御堂の隅々まで響きわたっており、大勢の再誦より遙かに抜きんでていた。この後菩薩を省略して、「南無観自在」の連呼となり、さらに「南無観」(ナアムカン)と短縮されていくのは、ピッチの高低とリズムの変容があって、音楽的には面白いが、何となく手抜きをしているように思えた。

 後半の呪師作法で、全員が外陣に出てきて、一渡り経を読んで、8名が退場し、3名が残って経を読み続ける場面があった。今回の呪師は、ものすごく声量の豊かなノリの利いたバリトンで、オペラ歌手顔負け。ところが再誦役の二人は、灯りから座が遠いものだから、テキストが読めず、呪師が独特の礼拝動作に入ったら、代わって大音声で読み上げるべき経が読めず、口をもごもごさせて、お経の文章らしいことを唱えていたのは、多少の同情はするものの、滑稽を絵に描いたような光景だった。

 また初日であったせいか、ほら貝の吹奏の場合も、音程も拍子も全く合っていなく、てんでバラバラなのに、本人たちは真面目にこれでもかと吹き続けているのを耳にすると、こみ上げてくる笑いを抑えるのに大変だった。 ところでこれは完全な仏教儀式であるのに、「神名帳の奉読」として、日本六十余州に鎮座まします神様の名前が、「○○大明神」の統一的な名称で、次々に読み上げられるのが、「神仏混交」を感じさせて、天平の昔からシンクレティズムが王道を歩いていたのかと、改めて嘆息を禁じ得なかった。

 6時間以上掛かる儀式を、根気よく見守ったのだから、書くことは沢山あるが長くなるのでここら辺りでカット。

 ともあれ深夜の1時半に解放されたが、一同帰宅方向がバラバラなのと、洋式般若湯による自主暖房のため、車の運転は出来ず、冷え切った体を温めるため、奈良の町はずれのスーパー銭湯で事後の斎戒沐浴而摂暖。だが営業は3時まで。番台で深夜営業のファミレスを教えて貰って、三番電車辺りまで時間つぶし。こんな時間なのに、若い男女(20代〜30代)で、客席の半分は埋まっていた。

 三番電車に(日曜の超早朝)乗ったが、同乗したのはこれまた遊び人風の20代半ばまでの女性が、三々五々と。一体どうなって居るんだろう。この日本は。

 環状線に乗り換えたら、がら空きなのに、前に座った女の子が、手鏡を取り出して、化粧に余念がない。何もオッサンの前でしなくとも、他に席は幾らでも空いているのに・・・。

 お坊様達が、寒さを物ともせず、立ち込める灯明の煙に堪え、身を犠牲にして鎮護国家を願っていらっしゃるというのに、奈良大阪の若い女性たちの埒のない行動は一体何なのだ・・・。そうだ、萬民快楽(けらく)を祈ってきて下さったから、微温湯的平和が充満し、若い女性のこういう行動が可能になったのだと、理解しよう。


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