地域遺伝子」発掘による地域づくり事業

現地調査 〜招提地区〜

鎌田 徹

 「地域遺伝子」による地域づくり調査の一環で2008年11月28日、光善寺およびその周辺、釈尊寺およびその周辺、招提地区で現地調査を行った。そのうち私が同行した招提地区について報告する。

●招提寺内村の形成

 枚方市史によると、天文12年(1543年)、近江国の住人片岡正久と河端綱久が将軍足利義晴に招提の地の下付を訴え、蓮如の6男蓮淳を招いて真宗道場(敬應寺)を建立し、寺内村を形成したと伝えられている。

 建設当初は、道場のまわりに囲いを造り、東の低地に堤を築き、用水をためて池とした(御堂池)。中央には大通りを通し、村の入口には大木戸を設け、要所には主だった者の屋敷を配置するなど計画的なまちづくりを行った。1582年(天正10年)豊臣秀吉と明智光秀の山崎の合戦の際に門徒宗は光秀側に加担したため、光秀滅亡後、秀吉によって不入の特権を剥奪され、この制度も廃れ、寺内村としての歴史は幕を閉じた。

●敬應寺

 調査に行った時に、敬應寺では丁度報恩講が終わったところで、三々五々お年寄りたちが語らいながら帰っていくところだった。同寺が地域に根ざしていることが感じられた。

●招提街並み

 招提は寺内村としては幕を閉じても、その後、まちの形、家並みの形は大きく変わることなく、現在まで受け継がれてきたものと思われる。


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