悠悠録

“古い”モノ

平峯 悠

 私達のまわりから古いモノが急速に失われつつある。NPO事務所のある北浜界隈はもともと薬問屋が軒を連ねる伝統的な地区であり三越や銀行の建物、木造商家の遺構そのものコニシ(株)旧社屋等があったが、三越跡地は高層マンションに変貌し、薬の神様を祭る道修町の少彦名神社はビルの谷間に押しやられる。大阪市内の多くの地域が新しいモノへと変わっていく。戦後の自動車の普及や経済成長は都市改造を余儀なくさせたが、スラムクリアランス、民間ディベロッパーによる都市改造、ウォーターフロントの再開発等が主流であり、どちらかというとアメリカの都市計画理論を踏襲し、頑なに過去にこだわるヨーロッパの都市を手本にしなかった。しかしながら大阪市周辺の都市の中には未だ昔の集落が残り、日本人なら無条件で得心する雰囲気を保ち続けている地域が存在する。伝統的様式による門構えと垣根、街道や古道、道標や溝・水面、神社やお寺、お地蔵さん等は「日本人の原風景」そのものを現している。

 日本のまちは汚い、雑然としているという批判が多いが、それは日本の都市の成立過程と密接に関連している。城下町、門前町など計画的に町割りされた都市以外は、大半が農村集落の拡大発展によるもので、昔からの道や水路等を基盤にして「木」を主材とする建物が建てられ、時代と共に変形しながら今日まできた結果である。更に新しいものへと変わっていくのは当然としても、最近では古いものを尊重しながら全体を調和させるという心が希薄になると共に、古いモノの価値がわからない人々が増えてきた結果でもある。

 まちをつくるのに50年、人々がまちに馴染みとけあうのに50年、その間に人々は次の世代のために時代の跡を刻み込む。即ち、まちには必ず「過去との交信の場」が数多く残されている。早稲田大学名誉教授の尾島俊雄氏は「長く存在し続けるためには外乱に耐えうる質と量が必要であり、長持ちするものには価値が認められ、極論すれば長持ちしただけで価値が発生する」という仮説を立て、〔文化財としての建築の等価価値〕=〔人間の労働としての空間〕×〔歴代の人々が価値を認め生存を許した時間〕という建築物の評価基準を提唱している。

 古いものには例外なく価値があり、その価値は人々に使用され利用された時間に比例する、というを今強調するのは、何でもありのまちづくりを一度立ち止まって見つめなおそうとの思いからである。旧街道や集落間を結ぶ道は300年〜1000年、日本の近代化が進んだ大正期の産物は100年経過するが、名神高速道路をはじめ現在使っている施設は高々50年利用されているに過ぎない。文化財や歴史的遺産ではなく生活の一部として利用されているすべてのもの、即ち家屋や道、樹木や自然、池や水辺、宗教的施設、民間信仰や言い伝えなどをどのように保存・保全・修復・再生していくかが問われているが、風雪に耐え現存することそのことに意味と価値があると信じて対応することも一つの方法である。大阪ミュージーアム構想などが生活の中の「古いモノ」を見直すきっかけになることを願う。


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