悠悠録

続・日本人

平峯 悠

 「日本は、東西両世界の優れたところを併せ持つ強力な国です。しかし日本人の最大の特徴は自然と交わり、自然を芸術的に味わうことです。この自然の状態に敏感であることが美を感じる心と密接に結びついています。この点で日本に勝る国民はいないでしょう」・・・「日本人には暮らしをよくしていく知恵と才能が備わっています。しかも西洋化しても自分の文明に執着し、昔からの質素な生活習慣を守っています」(※)

 これはイギリスの外交官である夫ジョージ・サンソムの赴任に伴って来日したキャサリン・サンソムが、昭和初期(1928年〜1936年)の東京の街と暮らしを描いた日本印象記である。太平洋戦争に突入する高々5年ほど前の日本の姿をよく表している。夫人が離日する1939年以降、日本の政治・経済・社会情勢は急速に悪化し、敗戦という最悪の結果を生んだが、夫人の描く日本は、庶民は穏やかで幸せであり、美しい木々の緑に囲まれ、小さな庭や生け花を楽しむ、優雅な礼儀作法を身に付けた国民として描かれている。明治維新前後の日本を描いた西欧の外交官たちの見聞録にも日本人の特徴が描かれているが、キャサリン・サンソム夫人の印象記は、戦前を暗黒の時代として否定しがちな現在の風潮とは異なっていることを示している。

 当時の社会や生活を知ることは勿論重要ではあるが、夫人は日本・日本人の将来について「私がかなり自身を持って言えること、それは日本の習慣、礼儀作法、考え方が徐々に変化したとしても日本人が心の繊細さを失うことがないということ、日本らしさは見事に育まれた調和があり、それは国民の心の中から湧き出たことで変わらないこと」という。

 敗戦という悲惨で急激な経験を経て64年、現在の日本社会は夫人の言うような日本らしさを持ち続けているのであろうか。これからの社会を築いていくには過去から現在に至る検証が必要である。地デ研の独自研究として進めている「地域遺伝子調査」は、まちづくりの部門でのサンソム夫人の検証に他ならない。経済効率主義や自動車優先の都市づくりに翻弄され、日本らしさを見失った地域、鉄とコンクリートで固められた地域。一方では、小さな庭を花で一杯にした住宅街、昔からの伝統的家屋を大切にしている集落、旧街道沿いを清潔に保ち過去を呼び起こそうとする地域など様々であるが、どちらかと言えば日本らしさは急速に失われつつあるとの危機感を持たざるを得ない。 サンソム夫人が徐々に変化してもといったが、その後は、狂気とも言うべき戦争への突入、戦後の手のひらを返したような過去の否定、経済一辺倒の社会への傾斜、今回の民主党政権交代という異様なほどの風による急激な変化などが生じたが、これも日本人の一面でもある。強迫観念に取り付かれ全体が大きく振れる国民性と平常時の穏やかな日本人の特性とのバランスをどのようにとっていくかは常に注視しておかねばならない。

※「東京に暮らす」 キャサリン・サンソム著 大久保美春訳 岩波文庫


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