主張

政権交代と「閉塞感」からの脱却

蜩c保男

 2009年8月30日に行われた衆院議員選挙において民主党が大勝し、鳩山代表を首相とする内閣が発足することになったが、この大勝は、国民が「変化」を期待した結果とされている。

 ところで、「変化」という言葉は、昨年の米国オバマ大統領の選出において「チェンジ」で示されており、これに便乗したわけでないと思うが、少し気になるところでもある。また、これに対の「イエス・ウィ・キャン」が「マニフェスト」ということであろうか。

 これまで筆者は、戦後、つまり1945年以降のグローバル的な変化は、1973年の「第1次オイルショック」と1989年の「ベルリンの壁崩壊」に代表されると考えてきた。なぜならオイルショックはエネルギーに関する経済問題、ベルリンの壁はイデオロギーに関する価値(評価)問題、いずれもがそれぞれの顕然化の原点であるとしていたからである。

 民主党のマニフェストの詳細を議論するつもりもないので、以下、「地方分権」の推進と「官僚依存」からの脱却の2つに関連する地域的な課題について述べることにしたい。

 分権=自治、という側面からの地方・地域住民の意識は、残念ながら依然として極めて低いといわざるを得ないのではなかろうか。いわゆる行政指導型のものが大勢を占め、流行に乗り遅れないために形式的に推進している、というのが実態であろう。地域主権・住民主権を唱えながらも実効的・本質的な推進には程遠い。裁判員制度にみられるような、一般人の参画を得ての審議機関の設置も考えてよいのではないか。

 要は、意識変化(改革)を政・官・民で同時進行することである。

 官僚と議員の間の権力の配分が、ある種の「談合」によってなされてきたことは事実であり、また、これによって戦後の高度経済成長が達成されてきたことも事実であろう。

 しかしながら、この間に生じた既得権をめぐる制度(いわゆる天下りも含む)疲労が頂点に達していることは、だれの目にも明らかであろう。そして、このプロセスは、「ベルリンの壁崩壊」と同様に情報公開(流出)でもって説明されよう。

 官は、パブリックインボルブメント(PI)とパブリックコメント(PC)なるものを利用し、更には公助・共助・自助、そしてコラボレーションなる方式を導入して合意形成をはかっているが、信頼欠如の実態に疑問を持つものは少なくない。

 今回の政権交代は、「閉塞感」からの脱却を「変化」に期待する民意ともいわれている。では、「閉塞感」からの脱却のためにはどう考えればよいのか。共通認識が経済=財政ひっ迫・不況にあるとし、「地方分権」の推進と「官僚依存」からの脱却という2つの課題に限定して、次のように提起したい。

 テーマが大きく、また多すぎて、とりとめのないものになったことをお許しください。


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