REPORT

まちと宗教施設の分科会・研修旅行

出羽三山修験道の旅

分科会STUDY21 今中昌男

 ここ数年、分科会の視察対象として浮かんでは消えた出羽三山行き、ようやく今年、決行しました。丑年に湯殿山神社が開山したため、丑年の今年に参拝すると12回参拝したのとおなじご利益があるとされる。今回は出羽三山のほか、出羽三山に関連する寺、山寺の愛称がある立石寺、スノーシェルターがあるJR奥羽線峠駅などを視察する行程。参加者は高岡分科会会長・小西さん・中尾さん・今中の4名。

■羽黒山、月山を巡った後の湯殿山神社のありがたみ

<スケジュール>
《9月11日》大阪空港→仙台空港→月山8合目→月山神社→月山8合目→羽黒山参篭所・斉館泊《9月12日》出羽神社→注蓮寺→田麦俣集落→湯殿山神社→慈恩寺→紅花資料館→立石寺→蔵王温泉泊《9月13日》上杉神社→JR奥羽線峠駅→姥湯温泉・滑川温泉→仙台空港→大阪空港

 西の熊野と対比される出羽三山。修験道の聖地ですが、その聖なる世界には人々を引きつける伝承が仕組まれ、参詣した人々を感動させる巧みな演出がなされています。

 現在、出羽三山と言われるのは「羽黒山(414m)」、「月山(1984m)」、「湯殿山(1504m)」であり、順に「現在」・「過去」・「未来」を表し、未来の世界である湯殿山が奥の院とされます。参拝者は出羽神社(羽黒山)→月山神社→湯殿山神社の順に巡り、月山でこれまでの自分を捨て、湯殿山神社で生き返ると言われます。さて我ら4名は生まれ変わることが出来たのだろうか?


月山神社から石碑越しに湯殿山方面を見る。
湯殿山神社へは尾根か谷筋に降りていく。


湯殿山付近図

《各神社の印象》

 湯殿山神社は長らく、ご神体については「語るなかれ、聞くなかれ」と戒め、神秘的なイメージを形作ってきました。NHKの三山紹介ビデオでは一般には撮影禁止の場所も紹介していますが、ご神体だけは撮影されていません。

 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな (芭蕉)

 湯殿山神社は梵字川の谷あいにあり、参拝者はまず御祓所で裸足になって御祓いを受けます。そして小さな人形の紙で全身を撫で、それに息を3回吹きかけ傍らの水に流します。穢れを除いて初めて聖なる空間に入ることが許されるのです。

 聖域に入り30m弱の石畳を歩くと突き当り、それを左に曲がるといきなり赤褐色の巨石が目に入ります。これがご神体であり、本殿や拝殿といったものはありません。ご神体はてっぺんから湧き出す熱湯でこのような色になっており、緑の木々の中に赤褐色のご神体が鎮座する様は一種異様です。このご神体、熱湯が流れる裂目があることから、女陰崇拝の一種ではないかと言う人もいますが、定かではありません。撮影禁止ですから写真がないのが残念です。ご興味ある人は参詣に赴かなくてはなりません。

 ご神体にお参りした後、ご神体に上りますが、お湯が流れる階段状の筋目を進むにつれ、冷えた足が暖められ、とても気持ち良い!湯殿山神社で生き返る気持ちになるのが判ります。私たちは月山神社参詣後、登頂口の月山8合目に引返しましたが、月山神社から湯殿山神社へ直接向かう場合は鉄梯子や鎖を伝って下っていく厳しい箇所があり、湯殿山ご神体の有難みがより一層感じられることでしょう。

 (月山8合目往復ルートでも5時間ほどかかり、途中、役ノ行者も一度は引返したと言われる急坂の「行者返し」もあります。下りは膝がガクガクになりましたが、一番元気で、ペースメーカーを務めたのは最年長の高岡分科会長でした!)

 参詣の帰り道には足湯が作られ、冷えた身体を暖めることが出来ます。神様も参詣者のことを気遣わなければなりません。足湯に浸り、のんびりと湯殿山の空気を吸っていると、参詣時の高揚した気持ちも徐々にほぐれ、なにか素直に、新しく日々を送る気持ちが湧いてくるのでした。

 見知らない人と足湯も 神の縁 (輝巒)

■出羽三山に関連する寺院の栄枯盛衰


注蓮寺(つっかい棒で本堂を支えている。
地滑りの影響?)

 現在の出羽三山は出羽、月山、湯殿山ですが、かつては湯殿山の替わりに月山東方にある「葉山」を一山としていた時代がありました。しかし別当寺であり、力のあった慈恩寺との関係を絶ったため葉山信仰が薄れ、その替りとして湯殿山が三山の一つになったと言われます。その慈恩寺は今では参詣人も少なく、茅葺きの本堂や三重塔が、紅花で栄えた歴史を感じさせる寒河江の山裾の景観に溶け込み、静かに時を刻んでいました。

 かつての湯殿山神社には4つの別当寺がありましたが、神仏分離後は注蓮寺(ちゅうれんじ)と大日坊とは真言宗寺院として現存しています。注蓮寺は湯殿山が女人禁制の時代は女人のための参篭所(*)として賑わったようですが、湯殿山との関係を絶った後は荒れ果て、その後、森敦が注蓮寺を舞


七五三掛地区の地滑り
(集落は全戸移転であるが、地滑りの対策工事が行われていた)


雪囲いに覆われたJR奥羽本線峠駅を疾走する
山形新幹線つばさ

台にした「月山」を発表し注目を得ますが、今はまた寂れた感があり、湯殿山神社の賑わい振りとの差を感じます。

 *注蓮寺の注蓮は「しめ」と読め(注連縄<しめなわ>のしめ)、ここから先は湯殿山の禁域であったことを示すようです。

■七五三掛(しめかけ)地区の地滑り対策

 注蓮寺がある七五三掛(しめかけ)地区では今年2月に地滑りが発生しました。今回の研修旅行でも注蓮寺に行けるかどうか危ぶんだのですが、集落のいくつかの家屋は傾いており、地滑りの原因となっている地層の境目を流れる地下水を抜く工事がされていました。集落は結局のところ全戸移転となるそうで、注蓮寺だけがぽつりと残されることになります。

■JR奥羽本線峠駅

 奥羽本線(山形新幹線)の福島・米沢間には急勾配の板谷峠があり、4駅連続のスイッチバックがあったことで知られています。スイッチバックは廃止されましたが、新幹線「つばさ」でも大きくスピードダウンを余儀なくされる急勾配は残っています。最高地点にある峠駅には、スイッチバックの複雑なポイントを雪から守るために作られた、駅全体を覆う木製のシェルターが残されており、我々が見学している時、木製シェルターの中をつばさが疾走して行きました。


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