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広島旅行〜鞆の浦〜

前田秋夫

 26年目を迎える今年の「なかまの会(昔近所に住んでいた仲間)」の旅行は、秋の広島に決定した。主題は紅葉、このテーマで広島と言えば、「安芸の宮島」と「帝釈峡」が定番である。紅葉だけでは少し物足りないので、最近新聞によく出てくる「鞆の浦」と「平和記念公園」を加え、11月13日から2泊3日、総勢13名の旅行になった。「鞆の浦」のイメージは、おっさん連中は「架橋と環境問題」で、おばさんと若手は「ポニョの里」であった。

<波止・雁木>


(福山市HPより)

 朝早めに大阪を出たので昼前に鞆の浦に着いた。昼食後に波止へと向かい、石積の波止(防波堤)から湾内を見渡した。正面に常夜灯、正面から右手に階段状の船着場(雁木)、左の砂浜に石を引いた船の修理施設(焚場・たでば)が見えた。

「ほんとにここに橋を架けるの?」(Naさん)

「なんか道が狭くて生活に支障をきたしているみたいだよ」(Maさん)

「焚場の手前あたりは埋め立てるみたいだけど」(Kaさん)

「景観台無しじゃないの」(Naさん)

「推進派は景観には十分配慮すると言っているらしいよ」(Maさん)

「この雰囲気は残してほしいね」(Noちゃん)

 のんびりした景色の中でワーワーしゃべっている間に、KaさんとMaさんの孫2人が雁木のほうで遊びだした。 

 今階段状の船着場=雁木が残っている港は珍しい。波止、雁木、常夜燈、焚場、船番所の5点セットが残っているのは日本では鞆の浦ぐらいだそうである。「常夜燈まで歩いてみようか」(Noちゃん)という提案でみんな歩き出した。

<町並みと狭い道路>

 狭い道をみんなで行くと横を車が通り過ぎていく。確かに車が対向するのはかなり難しい道である。近所に住んでいる感じのおじいちゃんが話しかけてきた。「道が狭いから、小さい子は気をつけや。この辺は道が狭くて曲がり角が多いから危ない」。しばらく行くと、昔の町並みを残して喫茶店やお店をやっている通りに出た。「保命酒飲んでいったら」とおばちゃんが話しかけてきた。NaさんとMaさんは「ちょっとだけ」と言いながらご馳走になった。「なんか養命酒みたいだな」「大阪で漢方医をしていた中村という人が鞆で製造を始めた16種の生薬の入った薬用酒ですよ」。Maさんは1本、Naさんは8本も買ってしまった。おかげでおばさんの長い話を聞くことになったが、結局は「やっぱり鞆はこの景色と雰囲気が一番大切」ということだった。

<常夜燈>

 常夜燈は遠くで見たよりかなり大きい感じがした。何でも安政年(1859年)西町の人々に寄進されたそうである。常夜燈の前に立つと、湾と沖のほうが良く見えた。とてものんびりした景色が続いていた。

<車との距離感>

 最近訪ねたどの町も、一様に車との距離感に悩んでいた。間違いなく言えることは、今までのような車中心のまちづくりという切り口だけでは、無理ということである。しかし、これがみんなが豊かで幸せになる方法という共通の方向性が見つけられずにいるように見える。結局は時間と手間はかかるが、手探りでみんなで議論していくしかないように思える。でもこれだけこじれている中で、みんな1から議論が出来るのかという心配もある。

<残像>

 ちょっと見ていくつもりが、長い間居てしまった。のんびりした1日を送ったという気持ちと、ほんとにここを埋め立てて、橋を架けるのかという不安な気持ちで鞆の浦を後にし、次の目的地宮島へ向かうこととした。いろんな話をしてくれたおじいちゃん、おばちゃんの顔が思い浮かび、出来るだけ早い時期に今度は泊りがけで来てみようと思った。

 紙面の関係から、旅の続きは別の機会ということで。


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