主張

無駄とはなにか

平峯 悠

 民主党政権の売りは「霞が関の無駄」を排除し財源を確保する、天下りは無駄そのもの、自公政権の無駄を洗い出す等であり、その結果、政権交代を果たしたといってもよい。いわゆる事業仕分けがその象徴として注目を集めたが、世界一位になる必要があるのか第二位であったら何がいけないのか、お金が無駄であるという議論が展開されたが、その仕分け結果には各界から批判や疑問の声があがった。国家予算には問題はあることも事実であるが、日本の将来や方向を代議士や民間から選ばれたいわゆる仕分け人に任せておいてよいものか。政権公約の「子供手当」「高校授業料無償化」も無駄であるという意見も多い。

 そもそも無駄とはどのようなことか。広辞苑では「役に立たないこと。益のないこと。また、そのもの」としている。東大航空宇宙工学准教授の西成活裕氏は、社会は無駄ばかりであり、「ムダとり」が日本を救うという視点で「無駄学(新潮選書2008.11)」を表している。その中で無駄の定義として、

としている。その効果は明確な目的や目標があって初めて評価できるという。またトヨタの生産方式では「付加価値を生み出さずに、原価のみを高める生産の諸要素」を無駄と定義する。確かに企業などでは、無駄が会社組織の存続を脅かすため必死で無駄を取り除こうとする。しかしこれらを一般社会全般に当てはめてよいのかどうか。

 「魚の右利き、左利き」の研究をしている京大理学部の先生、鶏は美人を好むという研究、ハトはどんなブロンズ像にとまるかの研究をしている人など、世の中にはなんの役に立つのかと思えることに熱中している人もいる。無駄の定義に従うと、年寄りは医療費がかかり、何も生み出さず、お金や食料を浪費しているとして、無駄な存在といわれそうだ。後期高齢者医療制度に猛烈な反対があったのは、無駄に仕分けされたからであろう。

 無駄とゆとりはどう違うのか、無用の用、無駄方便という言葉の意味と、このような言葉を生み出した人間社会の知恵はどのようにして生まれたのか。建築の空間設計では一見無駄と思える部分があるが、その判断は建築家にゆだねられ、また旧都市計画法の街路構造令における歩道復員は道幅の6分の1とする規定や、街路の交差箇所における広場および橋詰め広場の規定などは、このような考えを知らない若い人には無駄と判断されるのではなかろうか。昔は定年退職後「顧問」「相談役」「参与」等の肩書きを持った人達が自由に行動し、ネットワークを活用し社会の潤滑油や触媒の役割を果たしていたことも事実である。

 民主党やマスコミが喧伝する無駄というのは、旧来の社会や組織の不公平さや不公正な事柄や現象のことを言っていることが多いのではないか。仕事もせずに給料をもらう、楽をして仕事がとれる、民間ではこれだけ苦労しているのに役所はという部分も多い。配分や仕組みを代えるには「無駄」という皮相的な論理ではなく、国や組織のあり方に対する確固たる理念と方向を示さなければ納得できないし、社会が混乱するだけであろう。

 拝金万能主義、効率優先、物欲優先の生活感覚が蔓延し、ゆとりを失い祖先や子孫に対する意識が希薄となりつつある中での内向きの無駄排除から、物づくりの伝統、倫理観、精神文化に立ち返り、共有できる価値観に基づく仕分けや方向付けが是非必要である。


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