主張

戦略的な総合交通政策の夢

星野鐘雄(元JR西日本)

 昭和44年の暮れ、国鉄から、霞ヶ関は運輸省大臣官房の総合交通政策班へ出向した。初めに担当した仕事が今話題になっている「空港整備特別会計」を創案することだった。5年間の航空旅客実績を伸ばすと15年後の昭和60年には、日本から海外へ飛び立つ人は4千万人、国内を飛び回る人は1億2千万人と予測された。いま振り返ると天文学的な数字だが、高度成長の勢いに運輸政策審議会でもあまり異を唱える先生方も居ず、「全国各地にジャンボジェット機の発着可能な大型空港が必要で、その財源を空港使用料とジェット燃料税とする特別会計制度の創立が望ましい」という答申を得た。

 以来40年経った今日、「空港は造り過ぎだ、使用料や燃料税が高すぎるから航空会社は赤字になった、便数が少ないから空港経営も苦しい、そもそも特別会計がおかしい」と批判にさらされている。そこでこの制度の事例から、交通政策の功罪について思考してみよう。

 まず、法律や制度は一度決定すれば時限の観念は無く、走り出したら止めるのは難しい。しかし「法治国家の概念を創立した古代のローマ人は『法』とは人間が定めたものであり、ゆえに神聖でも不可侵でもなく、必要に応じて改めるものという見方であった」と塩野七生さんが解説しておられることを知った。わが意を得たりと感じ、「制度の見直し」をキーワードにして私見を述べさせていただきたい。

 「空港特会」は低成長時代入った21世紀初頭に「見直す」べきではなかったのか。外国に比べ異常に高い使用料や燃料税を低減して航空会社や空港の存続力を高め、かつ費用対効果の小さい新規空港の整備は止めるなど。

 さらには、ばらばらの交通整備の制度、財源を一元化して、陸海空のネットワーク整備の優先順位を、国と地方の合意の下に戦略的に決定する「総合交通政策」に転換すべきではなかったか。当時すでに道路は「道路特会」、港湾は「港湾特会」があり、この「空港特会」の成立で交通手段別の財布が揃ったため、それぞれタテ割り的に司る官僚と族議員のリードでどんどん進むことになった。しかし一方で、財源に乏しい鉄道の整備も含め、財布をひとまとめにして環境、エネルギーを考慮した「総合交通政策」を導入すべきと主張する当時の「公共経済派」の考えは「市場経済派」の圧倒的な力に葬り去られた。

 そのころすでに、ヨーロッパでは、環境保全、省エネルギーにすぐれた鉄道を優先整備する運輸政策が西ドイツのレーバー運輸大臣の主張のもとに展開され始めていた。先見の明というべきか今になって感慨深いものがある。

 また当時、国際交流の高まりにそなえ、関西にも国際空港が必要とされ、神戸湾に新空港を設置することがほぼ決まりかけていたが、公害問題に苦慮した神戸市長の翻意で白紙に戻った。すったもんだの末、泉南沖に関西新空港を造ることに決定したが、埋め立ての工事費が高く、さらに中曽根民活で事業主体が国直轄や公団でなく株式会社に変更されたため、いまだに金利払いに苦しんでいる。民主党政権になり伊丹空港も含めた上下分離方式が打ち出されたので、抜本的な「見直し策」になるのか注目したい。

 2008年度から道路、港湾、空港などの特別会計は社会資本整備事業特別会計として一本化されたが、問題点が二つある。一つは鉄道整備が除外されていること。もう一つは事業費が年々削減されていて新規投資が困難な上、維持管理費のシェアが膨らんでいることである。真に日本を再生する戦略的な総合交通政策の実現を若き世代に期待したい。


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