悠悠録

法定都市計画の行方

平峯 悠

 2019年に、都市計画法が制定されてから100周年を迎える。都市計画学会等では法制度のあり方に向けた議論も始まっているが、人口減社会により都市が収縮期に入り、また都市間・地域間格差やクルマを前提とした土地利用に歪みが顕在化してきた現在、法定都市計画はどこに向かうのであろうか。これまで線引き、開発許可、道路・鉄道等の基盤整備、区画整理・再開発事業など法定都市計画は一定の役割を果たしたのは事実であるが、都市基盤整備の限界、住宅の量的充足もあり、現在その存在が薄れつつある。

 近代日本の都市計画を一言でいえば、西欧都市計画の不完全な模倣であり、また計画手法も画一的・統一的であり、日本の都市の成立要因や地域固有の風土的条件や社会的条件に合致したものとは言い難い。特に戦後は人口急増や住宅不足、クルマ社会への対応など新市街地に対応した都市計画制度であったといえる。

 地域遺伝子調査で明らかにしてきた日本の旧集落は、社会の変化に強くしたたかに生き残ってきた。道路は昔のまま、建築物は一部近代的な形態に建て直されてはいるが、神社や寺院を中心に風雪に耐えながら存続し続けているものの、法定都市計画の恩恵は殆ど受けていない。さらに日本独自のまちづくりといえる城下町は、明治維新後城郭の解体による改造と鉄道敷設により大きく変貌し近代化の波の中に埋没した地域も多くあるが、兵庫県龍野市のようにほぼ完全な姿を現在まで保っている城下町もあり、小京都といわれる城下町と共に訪れる人も多い。城下町を中核とする都市や富田林・今井寺内町および自然発生的な農村集落を中心とした地域の中には、独自の街並み、民家、みち等が継承され、日本の伝統や住まい方が残されている。法定都市計画の外に置かれたことが幸いしているともいえるが、そこの住民は都市計画税だけは新市街地と同様に負担させられている。

 これからのまちづくりの課題としては、人間的尺度をベースとして@都市の中心性=都市的なるものを創造すること、Aクルマの制約を条件とする公共交通による移動を保障すること、B誰もが出かけたくなるまちづくりを行うこと、C地域固有の文化・生活・伝統を守り育てること等があげられるが、これらを法定都市計画でどのように制度化出来るかが問われる。例えば旧集落および旧城下町の街割りを都市計画に位置づけ、里山や神社仏閣など地域の財産を「保存」「修景」「再生」するための法整備は如何にあるべきか等が議論されねばならない。現在の都市計画法の枠組みを変える必要があると考える。

 昭和30年代の大阪府の計画課では、課長・係長・係員が車座になって都市の将来や都市計画のあり方を勉強したと聞く。道路課や河川課からは白い目で見られていたようであるが、それが阪神高速道路や日本万国博、鉄道計画などの先駆的な事業に結びついたといえよう。都市の未来を考え人々の幸福を実現する使命を持つ都市計画担当者に課せられた責務は大きいが、都市計画の専門家集団である地域デザイン研究会においても、これまでのフォーラムやシンポジウムを通して都市計画制度について議論を深め、新たな提案に結びつくことが出来るよう期待している。


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