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広島旅行(2)〜宮島〜

前田 秋夫

 「なかまの会」一行13人は、鞆の浦を後にして、一路今回の旅行の主目的地宮島へと向かった。紅葉を見ながらもみじ饅頭を食べるぞ。


弥山と厳島神社の大鳥居


弥山の頂上付近

<宮島へのフェリー>

 宮島へのフェリー乗り場に近づくと、係員らしきおじさんが近寄ってきた。

「観光へ行くのなら、そこの駐車場に車を止めて、フェリーに乗ってください」(おじさん)
「車で行きたいんですが」(Maさん)
「観光では、車は渡れません」(おじさん)
「Aホテルに泊まるんですが」(Maさん)
「それを先に言ってください」(おじさん)

 こうしたやり取りがあって、やっとフェリーに乗ることができた。人でいっぱいだったが、車は我々の3台だけだった。調べてみると、車で往復するより、駐車場に止めて、人だけ渡るほうがはるかに安いことがわかった。フェリーの窓から正面に厳島神社の大鳥居、その後ろに本殿が見えた。

「背景の山と、海に立つ建造物の配置がすばらしい。海の中に立てるという発想がすごいよね」(Kaさん)
「海の上に建てたのは、むしろ後ろの山(弥山)を中心として島全体が自然崇拝の対象で神が降臨する場所と考えられていたので、陸地は畏れ多かったというのが、本当の所みたいだよ。厳島神社が創建されたのは推古天皇の時代で、弥山(みせん)を開山したのは空海といわれてる」(Naさん)
「へーすごいね」(一同)※そういえば、Naさんは、学校の先生でした。

<宮島の鹿>

 ホテルに着くと早速20頭位の鹿が近寄ってきた。

「鹿せんべいでも売ってるのかな」(Noちゃん)
「島では今、鹿に餌付けをせず山に返すようにしようとしています。島には500頭位の鹿がいて、街中では200頭位がいます」(ホテルの人)

 宮島の鹿は、西行法師が「宮島には鹿が多い」と記しているように、昔からいた。しかし一度絶滅したため、奈良から鹿を連れてきて、餌付けをして増やしたそうである。急にえさをくれなくなっては鹿も大変である。

シカツ問題だね。シカたない」(Maさん)
(みんなそろってシカとした)

<広島のカキ>

 翌朝、朝食までにかなり時間があるので、Maさん、娘、孫の3人は、ホテル前の浜辺に遊びに行った。

「ゴミが多いね。ごみひろいしようか」(娘)

 娘はみんなを呼んできて、みんなでゴミひろいをしていると、ホテルの若い人も手伝いにきた。

「木切れ類は浜の上のほうに集めてください。あとで燃やします。ペットボトル類はゴミ袋に集めてください」(ホテルの人)

 MaさんとKaさんの孫2人が、何か一生懸命ひろい集めていた。見ると、赤、青、黄色等色とりどりのプラスチックのコインのようなものだった。

「それはカキの養殖に使うものです。ところで、なぜ広島のカキ、特に宮島との間の海で採れるカキが美味しいか知っていますか」(ホテルの人)

 沖合いには、カキの養殖イカダが、いっぱい浮かんでいた。

「向こうの山を見てください。広島は山を大切にしています。豊かな山から出る栄養をたっぷり含んだ太田川の水が、潮流穏やかな広島湾に注ぎ、カキのえさになるプランクトンをたくさんはぐくむため、美味しいカキがたくさん取れるんです。特に原生林の残る宮島からの清流が注ぐ海域でとれる地御前カキは美味しいですよ」(ホテルの人)
「へー、食べてみたいな」(一同)

 あっという間に、ホテルでもらったゴミ袋が全部いっぱいになったので、当初の目的である紅葉を見に行くこととした。

 厳島神社の本殿を見た後、もみじ饅頭を食べ、紅葉谷公園をぬけ、弥山に登った。ロープウェイの下には、原生林が広がっていた。頂上は巨石が点在する不思議な空間だった。「神が降臨する場所」というのもわかる気がした。

<帰りのフェリー>

 帰りのフェリーで見ると、行きとは少し違って「弥山が主役で厳島神社が脇役」のように感じた。「パワースポットを配置し、多くの催事をする。」というのは京都に似ている。平清盛が寝殿造りの海上社殿をほぼ今の形で作るとき、平安の文化も同時に取り入れたからかもしれない。

 宮島を去るとき、あまり紅葉の印象はなく「シカとゴミ箱、カキと流木」が、頭に浮かんだ。さあ次は、お好み焼きと平和記念公園と帝釈峡だ。

「広島旅行 鞆の浦」は潮騒93号に掲載されています。


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