主張

タバコの害と車の害

〜公共交通を主体とする「人にやさしい街づくり」に向けて〜

地域・交通計画研究所 戸松 稔

 日本の成人男子の喫煙率は昭和40年には84%だったが、平成21年には39%に低下したそうだ。どうやら「タバコの世界」では、愛煙家やたばこ産業などの執拗な抵抗に打ち勝ち、愛煙家を肩身の狭い状況に押し込むことに成功したようだ。この原因として、タバコの害が次第に人々の共通認識となるとともに、喫煙所の削減、タバコの値上げなど、タバコの普及を妨げる方策が少しずつ実行されてきたことが挙げられる。

 翻って「交通の世界」ではどうだろうか。昨今、「公共交通に幾分の光が当たりだしたかな」という気がしないでもないが、利用者数の動向などから見て一向に改善されつつあるように思えない。和歌山の貴志川線は頑張ってはいるが、廃線となるところを食い止めたに過ぎず、将来の存続が保証された訳でもない。交通関係者の欧州へのLRT詣では、ずいぶん前から続いているが、国内にまともなLRT新線が実現した事例は無い(富山のLRTは、評価はするが、JRからの相当な持参金があっての事例に過ぎない)。全国の市町村でバスの衰退が続いており、自治体主導で各種のバスサービスを工夫するも、運営側、利用者側の双方から見て満足できるサービスになり得ていない。交通基本法の国会提出の動きは歓迎すべきことだが、具体策につながらなければ大した効果は期待できない。ましてや「交通権(国民の移動に関する権利)」の条項が省かれるようなことがあれば、理念法としての価値すら怪しくなる。誰もが、安価に、自由な移動ができる公共交通サービスの実現は、「道遠し」のように思われる。

 本来、TDM(交通需要マネジメント)の施策の根幹に車抑制の考え方がある。しかし、日本ではノー・マイカー・デーやP&R等の無難な手法ばかりで、車を直接抑制する流入規制やプライシング等が採用されることは少ない。社会資本整備審議会の「都市交通・市街地整備小委員会」で、公共交通に関するきわめて真っ当な提言がなされている。公共交通を「都市の装置」と位置づけ、厳密に定義した公益性の範囲内の補助を妥当としたものである。しかしここでも、公共交通と競合・補完関係にある車の評価にまったく触れられていない。日本では、誰もが「正面から車の害に言及することを回避」しているように思われる。

 交通専門家の多くが、公共交通を主体とする街づくりを「是」とするも、一向に進展が見られないのは、公共交通と対置関係にある車の害にきちんと向き合っていないことに原因がある。車による混雑・渋滞や大気汚染だけでなく、車利用を前提としたライフスタイルが都市の形態や消費生活を歪んだものにしていることを、専門家は機会をとらえて訴え、人々の共通認識としていく必要がある。タバコと違って車自体は害ではないが、過食が人体をむしばむように、車への依存度の高まりが都市部に害悪をもたらしている。短絡的に言えば、豊かさの感じられる街づくりを車の利用習慣が阻害しているのである。

 車の害を明確にした上で、車を直接・間接に抑制する具体的な施策を順次実施に移していく必要がある。例えば奈良の都心部では通勤客を満載したバスがマイカーと同列で渋滞に遭遇している。有効な強度を持つ対策が打てないのはバスを優先させるという規範が共有できていないことにある。高密度な空間利用の要請される都市部では、害の程度に応じた車の抑制が当然のことなのである。都心への流入禁止、通行帯の制限などを実現して、広く同種の問題の一掃を図る必要がある。中心地が賑わい、移動制約者にも住みやすい街づくりに向けて、公共交通の利便化とあわせて車利用の抑制と誘導が必要である。


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