REPORT

行政プロジェクトのマネジメント

事例研究 〜箕面森町事業を見る〜

大阪府 岡村隆正

 マスコミなどによりつくられたムードにより、政策が決められているように思う。道路不要論然り、脱ダム然りである。成熟(高齢)社会を迎え、投資余力が乏しくなったとは言え、社会的共通資本は、子孫が豊かに暮らすため、必要なものは時間がかかってもきっちり整備していくべきものである。そのためには、もっと様々な専門家がしっかり議論した上で、政策を決めなければならないと思う。

 しかし、以上のようなムードをつくった原因として、事業官庁が族議員とともに進めた、必要性を疑われるような事業がなかったとは言えないこと、特にバブル経済に浮かれたころに具体化された行政プロジェクトが軒並み破綻したことなどが、行政プロジェクトの必要性にかかる信頼を著しく低くしてしまったことが挙げられるのではないかと思う。

 本稿では、この行政プロジェクトについて、特にバブル崩壊後、財政悪化が顕在化したときの判断に責任やスピードが感じられず、それが後の大きな損失につながったことから、この「なぜ?」を箕面森町事業を事例に考えてみる。さらに西欧先進国では、1980年代に、郊外部の開発から都市再生に都市政策の舵を明確に切った。また、都市の交通政策についても、車中心から公共交通中心に政策転換した。しかしながら、日本ではなぜこの舵を切れないのか、についても考えたい。

(写真)箕面森町(航空写真、2010.4)右が第一区域、造成中が第二区域、左上が第三区域左奥が1967年から分譲開始された「ときわ台」

■事業概要

 箕面の山奥、止々呂美地区の住民の過疎に対する危機感からの民間開発構想が原点。そこに、国のダム計画が重なり、地元のダムの同意条件が公的開発となる。 最初の判断時期がバブル経済の最盛期であった(大方の日本人は浮かれていた)。また、事業手法が土地区画整理のため、一般地権者が存在し、撤退判断を難しくした面もある。

■経過

■判断時点の問題点

(1)初期段階(岸、中川知事

  1. 公的開発の意義?
     当初は、住都公団による開発が期待されたが、不調に終わり、引き受け手がなくなる。そもそも、公共団体が、人里離れた山岳地帯、それも水源地帯に住宅開発をする意義について十分議論されたのか疑問に感じる。
  2. なぜ、府による公的開発に踏み切ったか?
     国がする「与野川ダム」を進めるには、地元の同意を得る必要があり、そのため、国・箕面市から開発者の早期決定を迫られていた。結果として、ダムはかなりの投資の後、凍結された。時代背景として、土地神話「まだまだ人口は増え、住宅供給が必要」⇒今後も、地価は上昇しつづけ、開発利益を見込める(千里・泉北NTなどの成功体験)という呪縛があったように思う。
  3. 地価下落の読み?
     バブルは崩壊したが、地価下落も一旦鎮静化し、さらに地価が下落することを想定しなかった。これが、失われた10年の原因だが、国中が生ぬるい考えであったのは間違いない。

(2)中期段階(横山知事)

  1. 甘い土地区画整理計画(住宅計画、採算性、環境アセス)
     計画には、マストラもない山中にも関わらず、需要調査なしの集合住宅計画(約2,000戸)も含まれていた。また、地価下落の見通しが、甘い(H6沈静化したが、その後の下落を見通せず:H9当初計画時14.5万円/u→H13見直し時、11万円)。
  2. 環境アセスメントの甘い判断による本格着工
     貴重種オオタカは飛んでいたが、深刻には受け止めていなかったようだ。オオタカ保全が、結果として、その後の事業縮小の理由とされたようだが、販売予定だった府用地が換地(オオタカ保全地約55ha+里山19ha)となった。
  3. ブレイン不在(リーダーの資質)
     財政再建の議論が始まり、絶好の見直し時期だった。また、既得権者のしがらみが無くゼロベースで判断できる感性もったリーダーであったと思われ、適切な判断材料が提供されていれば、もう少し踏み込んだ見直しができたのではなかったか?大変残念。しかし担当事業課が(自ら事業縮小・廃止に行き着くような)客観的なデータは出しにくいとすれば、専門家でもない知事がたった1人では不可能だった。

(3)終期段階(太田知事)

  1. 事業規模を半減したが、大胆な見直しできず
     地価下落の見通しは、やはり甘い(H13見直し時、11万/uが、H22、6万/u)。結果、府のロスは、当時で750億円となっている。
  2. オール与党体制
     共産府政を阻むため、相乗りで、女性候補を立てた。府議会の存在意義であるチェック機能はなく、議会が開発推進の圧力団体となっていた。
  3. ダムは凍結 与野川ダム推進が大きな目的で始まった公的開発だったが、国土交通省が凍結と判断。

■現時点の処理方針(橋下知事)

 橋下知事のもと、主要プロジェクトの点検がされ、全容、点検の結果、教訓などが「大阪維新プログラム(2008.6)」として公表されている。
※1 ともかく行政の責任は全うしつつも、被害最小化を目指すこととなる。

<点検の結果>
  • 第一区域は、引き続き事業の完成を目指す。但し、財政状況に鑑み、住民生活に最大限配慮しつつ、工事の実施時期を精査。
  • 第二区域は、民間地権者により開発。
  • 第三区域(施設誘致地区)は、新名神高速道路の残土受入に伴い西日本高速道路鰍ェ粗造成を実施。府は当該区域の施設立地計画及び保留地等の処分可能性・採算性等を精査の上、粗造成の概成が見込まれる平成24年度末に基盤整備工事の実施について判断。

<バブル崩壊後の対応> H14年、企業会計から分離し、公共事業として実施。⇒オオタカの保全や地価下落等により事業採算は完全にとれなくなり、公共事業による都市基盤整備となる。

<教訓>

  1. 余野川ダム計画を進めるため、国・箕面市から開発者の早期決定を迫られたこと、まとまった用地が合理的な価格で取得できる見通しがあったことから、性急に住宅公社による用地先行取得に踏み切っており、当初の調査が不十分であった。(企業局が事業主体になった後、改めて調査を実施)
  2. 区画整理計画時、地価下落傾向を想定しない等、採算面の検討が不十分であった。
  3. 当初、住宅需要を調査せず計画されていた集合住宅(約2,000戸)は、需要動向に基づく見直しにより、戸建て住宅に変更された。この結果、土地の高度利用が困難となり、採算性を悪くする要因となった。

<府の負担(ロス)> 府費750億円投入

 現在、以上の方針のもと、第一区域の事業の完成が急がれている。2008年9月のリーマンショック後、極度に悪化した住宅需要が、昨年からやや持ち直し、さらに経済対策の「住宅取得の様々な優遇策」も援護射撃になり、保留地販売は一定持ち直してきたが、まだまだ、経済の足腰が弱く、予断できない状況である。(ごく限られた業種以外は、給料が下がるデフレを迎え、強い需要が生まれない)

 ともかく、この街の魅力を掘り起こし、様々な機会を通じて発信し、販売促進に努め、一刻も早く完売することが、我々の使命である。

■今後の行政組織のあるべき姿

(1)行政組織の性格

  1. 4年毎に選ばれる首長、それを支える行政マン
     近年の首長は、行政改革など問題意識を持った人が多くなったが、それでも、たった一人で(政策ブレインも引き連れず)乗り込み、そこで、生え抜きの行政マンと 渡り合いながら、政策実現を図ることとなる。
  2. 3年もすれば、その事業の全体的な政策判断の経過がわかった行政マンがいなくなる
     首長は4年の倍数、行政マンは2、3年周期の定期異動による当てがい扶持となっており、事業は続いているが、身を持って経営責任を感じる組織になっていない。
  3. スピード感ある経営ができない
     公平性、法令遵守、議会承認などにより、民間では当たり前のスピード感を持った事業推進・経営が難しい。また、単年度予算、入札制度などにより、非効率な事業執行になりがち。
  4. 「縦割り・横並び」組織、地域毎の「議員」応援団
     政策部門、事業部門が横並びで、政策部門の力は弱く、事業部門が主力となる。また、それぞれの事業にそれを応援する与党議員がおり、事業を推進している。さらに、事業部門の中に事業計画部門を内包しており、客観的なデータ整理を難しくしている。
     また、今までは、右肩上がりの経済成長期に不足している社会資本を整備するというもので、事業をうまく遂行することが大事で、事業を途中で見直すことなど有り得なかった(先輩非難はタブー)。

(2)プロフェッショナルの時代

 このような状況の打開策であるが、ここでは、責任の所在が極めて不明確であることと専門家が活きていないことの2点から大雑把な方向性を述べたい。

 民主党政権になり、様々な問題への対応の幼稚さが目立つように思う。例えば、外交では、普天間基地、尖閣諸島の中国漁船などであるが、これらは自民党政権時代からつながる、戦後政治の無責任体制が生み出したものと言える。しかし、僕のような庶民から見てもその対応があまりに素人なのである。戦略を持ったしたたかさがないし、これでは日本はもたない。

 行政組織の問題も同様に思う。定期異動などにより行政では専門家が育ちにくく、そのため、事業の経過を熟知した職員も数少ないし、技術もデータの蓄積も極めて不十分な状況と言える。

 今後は、政治も行政も、様々な分野の専門家で構成される組織にすべき。※2 行政組織も今までのような素人なのか専門家なのかわからない人の集まりでなく、外(社会)でも通用する様々な専門家で構成された集団となる。彼らが内外の専門家と対等に、しっかり議論し、専門家としての責任により事業を行うようにすべきだと考える。また、戦略的な自治を実現させるため、行政組織の長(部長、局長など)を政治的存在とするドイツのような仕組みも取り入れるべきである※2。そうすれば組織の論理を超えた社会全体のあるべき方向など、見識により、政策判断することとなる。

 今までのような安定した時代は終わり、常に意義、効果、効率、優先度などをチェックしながら、事業を進める時代になる。本当の専門家(プロフェッショナル)が責任をもって対応していく時代になると思う。

 さらに、例えば、真に豊かな生活ができる都市づくりなどの都市政策を始めとした様々な政策の実現を考えた場合、学識経験者の役割が大きいと思う。そのため、学内に留まらず、研究成果や情報などを社会で実際に役立てるため、学外のシンクタンクなどに属し、これに行政の専門家も加わり、政策を立案し、政党や政治家のブレイン機能を果たすことが重要となる。このような時代になれば、専門家は、政、官、学、民などの間を、自由、活発に流動することになり、専門性やその実現性をより高めていくことになる。

<出典>
※1:0806大阪府ホームページ、行財政改革「財政再建プログラム(案)」(P.83、88)
※2:080530高松平蔵「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか小さな街の輝くクオリティ」学芸出版社(P.57〜65)


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