REPORT

四天王寺探訪 背景と位置づけを探る

まちと宗教施設拡大分科会がフィールドワーク

 いつでも訪れることができる気安さから、実は行けてないところ。約1400年前に建立され、7度の戦火天災に会いながら、その都度復興できたお寺−−。まちと宗教施設拡大分科会は11月6日、四天王寺を訪れ、その背景とまちの中での位置づけを探るフィールドワークを行いました。

 当日は7名のメンバーが天王寺駅に集合。雑踏を通り抜け、手を合わせながら庚申さんの横を通り過ぎ、待ち合わせ場所の南大門に着くと、南谷法務部長と2名のお坊さんが出迎えてくださいました。門をくぐると別世界。猥雑さは遮断され、視界が開け、朱塗りの柱の仁王門の奥には五重塔が構えていました。

■熊野権現礼拝石

 庚申街道は熊野街道につながることから、南大門の横手にある熊野権現礼拝石を拝めば、熊野に行かなくても行ったことになるそうな。当時の人たちの熊野詣への強いあこがれととともに、礼拝石を境内に建てることを認めた、お寺のおおらかさを感じました。

■極楽門

 極楽門(西門)は、寺から見れば西門だが、寺の西方にある極楽浄土からみれば東門にあたる(日想観)と説明を受けました。すぐそばまで海が迫り、夕日が石の鳥居の向こうに沈みゆく様を目の当たりにすれば、極楽浄土が容易にイメージできたのでしょう。しかし今は、海は遠のき、極楽浄土が見えるはずの西向きの広い道路には、進入禁止の交通標識がアイストップとして絶好の位置に掲げてありました。

■本坊庭園

 本坊庭園は、極楽浄土の庭とも称される庭園です。火の河と水の河という地獄の真ん中に極楽浄土に至る道が細く伸びているという「二河白道」の喩話を基に造園されており、季節の花が咲き乱れる庭園の美しさと相俟って極楽浄土に往生したかのような感動を味わうとされています。その池のほとりに八角形の西洋風東屋が鎮座していました。明治36年に開催された内国勧業博覧会会場に建てられたものを移築したそうです。ここでもおおらかさを感じました。

 2時間半、五重塔から金堂、講堂、亀井堂、博物館を回り、本坊庭園では茶席で運営の話を聴きました。人影もまばらになった境内を後に反省会場に向かいました。

 「この空間を異空間と見るのではなく、都市の財産・魅力と認識し、周辺環境も含め活かすよう都市計画もすべきだ。これまでなぜか宗教に対し、触れるのを避けてきたところがあるが、ここは文化や伝統、習慣など生活に根ざしたもので、むしろまちの重要な要素だ」と怪気炎をあげました。 (文:岡村、小西)

四天王寺の概要
  • 大阪市天王寺区の市街地にある寺院(東西300m、南北400m。約11ha)
  • 今から推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺
  • 第二次世界大戦頃までは長く天台宗に属していた時期もあったが、「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に和宗総本山として独立している。
  • 聖徳太子が創始した「四箇院(敬田、悲田、施薬、療病)」を教学伝道、社会教育、福祉事業、仏教の興隆等の充実につくしてずっと維持

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