REPORT

2011フォーラムプロジェクト研究その1

テーマは「大阪の玄関が変わる!」

 地域デザイン研究会の2011フォーラムが2月19日、大阪市立阿倍野市民学習センターで開催された。テーマは「大阪の玄関が変わる!〜大阪駅周辺の歴史的変遷を知り、今後のあり方を考える〜」で、プロジェクト研究その1として行われた。ここ数年のフォーラムでは昔をふり返りヒントを探ろうと「温故知新」の観点からテーマを選定してきたが、大阪駅に大屋根が出現し、5代目となる大阪駅と周辺が大きく変わろうとしている。

 今回は大阪駅駅の大改造に取り組むJR関係者から話を聞くとともに、座談会「大阪駅周辺地区開発を概観する」を開催した。次回の第2回目(5月28日)では、大阪駅周辺で事業をやってきた鉄道事業者、区画整理を含む関連事業関係者から話題提供をしてもらい、大梅田をどうつくっていくのか、大阪・関西が目指すべき方向などを探ることにしている。

プログラムと出演者

◆基調講演「5代目大阪駅 大阪ステーション・シティー5月開業」
 池田靖忠氏(大阪ステーションビル社長)

 ◆座談会「大阪駅周辺地区開発を概観する」
 ・村橋正武氏(大阪工業大学教授・リエゾンセンター長)
 ・池田靖忠氏(大阪ターミナルビル社長)
 ・岩本康男氏(都市活力研究所顧問)
 ・星野鐘雄氏(前JR西日本コンサルタンツ技術顧問)
<進行>平峯悠氏(地域デザイン研究会理事長)

■開会挨拶 平峯 悠(NPO法人地域デザイン研究会理事長)

 この10年間に世の中が大きく変わった。10年前はいい物をどう作るか、ユーザーをどう得るのかと言うことでやってきたが、政治情勢が混沌としており、危機感を持つようになった。そのため、昔をふり返り新しいものを作るベースを作りたい、温故知新と言うことを考えるようになり、今回、大阪駅をとり上げた。第1回目は駅の大改造をやっておられるJR関係者からお話しを聞き、第2回目は大阪駅周辺で事業をやってきた阪急、阪神、大阪市交通局、JR、区画整理などとの関連での府や市の方々からお話しを聞き、大梅田をどう作っていくのか、大阪、関西が目指すべき方向を考えたい。第1回は課題を考えていく場とし、その結果を受けて第2回目の企画を作っていくこととしたい。

■基調講演 5代目大阪駅 「大阪ステーション・シティ」5月開業
 講師:池田靖忠氏(大阪ターミナルビル社長)

●初代大阪駅からの歴史を振り返る

 初代大阪駅は当初、水運に恵まれた堂島地区に計画されたが 折り返しが必要となること、さらには反対運動があり、草原と田園が残る梅田千日に開設された。当時は大阪と神戸を結ぶ線だけであったが、その後、東海道線、阪鶴鉄道、西成鉄道、大阪鉄道が乗り入れてきた。

 2代目はお客様が多くなり、複線化にあわせて開業した。その後、阪神、阪急が駅を開設し、更に地下鉄御堂筋線も出来、大阪駅が東京や博多・北九州と結ぶ機能とともに、都市間鉄道の拠点となってきた。

 その後、貨物輸送が一杯になり、昭和3年貨物駅を分離した。また貨物のバイパスルートも作り(大正7年)、操車場も吹田に作った(大正12年)。国鉄は京阪神間の都市間輸送も担うため、電化、複々線化を行った。昭和11年には大阪駅周辺を高架化しているが、画期的なことであり、これは東京にも負けない構造になっている。これだけの貴重な財産があったので今のビルが出来た。先人は先のことを考えてやっていると思っている。

 昭和15年に3代目駅舎。万博時に環状線のホームを拡幅し、万博対応で大阪駅の現在の骨格が出来上がった。

 アクティ大阪の建設に伴い、駅機構を北側に移し、これが4代目。その後、郵便や鉄道小荷物を扱っていた高架下をギャレ大阪として活用し、工事箇所を分散しつつ中央コンコース、東口をリニューアル。現在の大阪駅の1日当たり乗降客は85万人。北新地駅で10万人。梅田全体では約250万人。東京と比較すると池袋と同程度 となる。

●5代目大阪駅計画の経緯

 大阪駅の改良計画は、国鉄改革に伴い、昭和62年に貨物ヤードを移転させること決定し、社内で検討を始めた。しかし、ヤード移転が進展しないこと、さらには当時京都駅の改造をやっており、同時には出来ないので、ヤードが移転 が決定してから進めようとしていた。平成3年には3省庁の共同調査があり、平成11年には貨物ヤードを吹田と大阪市内のどこかに(百済を想定されていたと思うが)、移転させことが決まった。

 そのため、平成13年秋から大阪駅改良の本格的な検討を始めた。大阪市では都市再生懇談会を設置し、国際コンペを実施。跡地の骨格が決まったということで、大阪駅の全体構想を発表した。平成16年には百済への移設が決定し、鉄道の改良に着手。平成18年には先行開発区域の事業者も12社連合に決定。

 当初は大阪駅の北側のビルだけであったが、もともとの玄関はどうなるんだ、と言うことで南側も玄関口として再整備しビルも増床することとなった。市にも相談し、1、2階を人の広場に して増床することとした。南側のビル、サウスゲートビルは3月16日に開業、大阪ステーションシティのグランドオープンは5月4日。2年後には先行開発区域が竣工し、その1年前には阪急百貨店の増床も完了する。

 先行開発区域は約50万u以上の建物で、大阪駅の約45万u以上の規模のものが出来上がる。大阪駅周辺では他に西梅田の中央郵便局と 旧鉄道弘済会ビル(大弘ビル)一体に開発する構想があるが、厳しい状況にあるので慎重に考えられている。

●大阪ステーションシティの概要

 大阪ステーションシティにご利用を便利にするため、宝塚線は大阪駅発着の快速を増発する。阪和線・大和路線の直通快速を20分に1本を15分に1本とする。


■コメント「新しい大梅田開発の視点」
  講師 村橋正武氏(大阪工業大学教授・リエゾンセンター長、立命館大学総合理工学研究機構客員教授)

 座談会のイントロとして、大梅田開発についてどういう課題があるのか、どう考えていけばよいのか、といった点で話題提供する。視点としては理念、計画内容、タイミングとリーダーシップ。始めはタイミングだけで止めておいたが、最近の政治情勢に危機感を覚え、リーダーシップを入れた。

 当初の大阪駅は堂島に計画されたが、地元の反対があり大阪市域外の西成郡曽根崎村字天童に作られた。当たり前であるが、当時大阪駅は鉄道側の論理で、周りの 市街地の状況に係らず駅、路線が決められた。

 人口が減り始め成熟社会になってきた今日では、駅と街を一体で考える取組みが求められる。これが本日お話したいポイント。

●コンパクトシティ

 2つの事例を紹介する。一つはコンパクトシティを目指すこと。鉄道などの公共交通体系を軸にして、駅を中心として人口や施設を集約し、駅から離れたところは逆線引で市街化を抑制する考え方。実例として富山 が挙げられ、JR、富山地鉄、市電、LRTの駅を中心として団子状にまちを作っていく。このような仕組みで街を再構築しようとするもの。

●駅と街の一体化

 もう一つの例。これが本日お話のあった大阪ステーションシティ。JR大阪駅については、北ヤードが開発されることで全方位に開放される駅となり、これを前提として様々な魅力ある取組みがなされ、結論として駅とまちが一体化し ようとしている。

 日本の駅でこれほど駅と街が一体化した例はない。JR西日本の高い見識と、成し遂げられたことを高く評価する。地価の高いところで人の空間として解放しているのも卓見である。

 

 

 これからの大規模開発は、公共交通重視の開発、パブリックスペース重視、ダウンタウンの再評価、ミックストユースの新たな展開が求められる。大梅田のように、ごちゃ混ぜ の土地利用によるマイナス面もあるが、いろいろ楽しむことができ、新しい発見ができることは、これからの街として好ましいと思う。

 

 

 大梅田が目指すべきビジョンは、簡単に言うと関西経済、日本経済のエンジンとなる部分の中核となることにある。人に着目し、「人を中心としたまち空間」を作っていく。都市インフラとしては何よりも人を中心とした歩行者ネットワークの形成を重視する。そのための3つのプログラムとして、歩行者動線の整備・運営、駅とまちとの一体的な整備・運営、広域的なエリアマネージメントの取組み を図る。

 大梅田をとりまく幹線道路を環状道路とし、フリンジパーキングを整備し、環状道路内には業務上必要な車以外は入れない。このようにして人を中心とした空間が出来ると、世界に冠たるターミナルになる。

●タイミングとリーダーシップ

 

 大規模な事業を行っていくうえではタイミング、リーダーシップのあり方が極めて重要である。事業をするのに厳しい環境になってきているが、やれる時にやっておこう。最近は北ヤード が、政治課題として取上げられることに危機感を覚える。ロングスパンで取組むべきプロジェクトを、4年間の政治の成果として結論を出すことは危険な見方である。

 優れたリーダーシップは長期的な展望で今何をなすべきかのシナリオを示すことが出来ることである。市民に対し扇情的でなく、説得力に富んだ論理性に基づいて実行すること。富山のLRT導入 においては、森市長の見事なリーダーシップが発揮された。

 

 

 今大阪が注目されている。国際的な競争力強化のプロジェクト事例として大梅田が選ばれた。国の目が大阪に向いている今がチャンスである。


■座談会「大阪駅周辺地区開発を概観する」

(平峯)

 梅田、大阪駅の周辺に関して、今後のあり方とか課題についての座談会としたいと思う。地域デザイン研究会のメンバーで神戸市の都市計画を担当していた片瀬さんから、欠席の手紙に、大阪だけが発展していて、神戸が何も危機感を抱いていないのを心配していると書いてあった。これから、大梅田を考える時、京阪神大都市圏の中での大阪、梅田というものを十分考えておかなければならない。そこで、池田さん、村橋さんのお話を踏まえて、岩本さん、星野さんに感想をお聞きしたい。それから、村橋先生からお話があった、理念、計画内容、タイミング、リーダーシップについて順次考えて行きたい。まず当事者であった岩本さん。

(岩本)

 北ヤードを1期2期に分けて開発しようと各方面の意見が一致したのが約10年前。汐留はどんどん進むのに大阪駅はこのままで良いのか? 分けて開発すると移転が遅れるが、やれるところからやろうと決心したのかちょうど10年前。JRさんもその前から大阪駅の改造を考えておられ、国際コンペもJRさんの構想ありきで行った。その結果、まちと駅が一体的に計画できた。北ヤードが汐留のように行きにくいまちになっては困ると考えた。周辺にとって、梅田が広がる、繋がることが重要と思っている。今日説明頂いたJRのスタンスが京都駅と違うところ。大阪市は金を使わずに良いまちができる。感謝している。

●片福連絡線とダイヤモンド地下街のセット開発

(星野)

 四つ橋線、谷町線が昭和40、42年に開通し、再開発ビルも出来、地下のネットワーク、歩行者空間が出来たと推察する。阪急が梅田の駅を移設するが、JRを超えて線路を短くする形で高架化し、川の流れる3番街を作ったのには驚いた。その後、国鉄を民営化する時大いに勉強させてもらった。西梅田は、国鉄の貨物を廃止して、民間の活力で再開発することになった。しかし西梅田には開発のコンセプトがなかった。大阪市も都心のほうの再開発に関心がなかったし、阪神も開発構想がないということだった。ところが、それから何十年かたってハービスが出来る。線路を計画道路下に移して、地下の自由通路を作り、線路跡地に魅力的な建物を作った。阪急の開発と並んでこれにもびっくりしている。西梅田では開発のコンセプト・理念がなかったので、それではいけないと、国鉄時代北ヤードをどうしたらよいかを調査した時には、コンセプトを検討し、当時の朝日放送原会長の発案ですべてのテレビ局を梅田に集めるというメディアシティ構想を作った。しかし、改革の決まった国鉄は開発に係れないと言うことで今のような形になった。もう一つ片福連絡線とダイヤモンド地下街のセット開発が長年の課題であったが、これが出来た。このように鉄道とまちづくりを密接な関係で、進めてきた歴史がある。将来の問題はリニアがどこに来るかだと思う。大阪としてターミナルをどこにするかが大問題である。

●一点集中と多核構造

(平峯)

 中央環状道路沿いに核となる都市を作り、モノレールも敷いたため、大阪市の求心力が大きく落ちた。都心に行かなくても千里にいればある程度の文化的な生活が送れるようになった。関西都市圏、もっと大きくリニアの話とかを踏まえたうえで、国際競争力を育てるために大梅田を作らなければならない、と言う根拠を作らなければならない。これが最初の私のテーマ。理念の一つに組み入れて欲しいことの一つ。鉄道についても、京都駅を大改造した。そして大阪駅の大改造。長期的に両方ともうまく行くのかどうか、大変気になる。

(村橋)

 地域経済学者の一般的見解としては一点集中型が当たり前といわれる。他方、京阪神都市圏の広くないところに3つの大都市が連立することを評価する 見方もある。競争と住み分けの両方を考えていく必要がある。そのバランスシートをどう取っていくかが、京都・神戸から見たときの大阪のあり方のポイントとなる。大梅田は京阪神の、あるいは日本の大梅田と言われる必要がある。一点集中でここにしかないものを集めるということをもっと 目指しても良いのではないか。

(平峯)

 鉄道側はこの梅田をどう見ているのかをお聞きしたい。

(池田)

  JR西日本の中で大阪駅は、乗降客が85万人、京都はせいぜい25万人くらい、大阪が圧倒的にNO.1であるし、路線の数・駅の規模もNO.1.京都から始めたのは国鉄時代の経緯、平安建都1200年等の事情があったから。京都駅が始まり、次は大阪駅と思っていた。それが大阪市を始めとする支援を頂き、今回の形になった。総論として都市側と一緒にやっていこうというのが大事である。

●大阪・梅田の位置

(平峯)

 JRのお話をお聞きしたが、阪急・阪神・地下鉄もどういう意識で梅田を広域的に考えてきたか、次回、鉄道の皆さんからお聞きしたい。岩本さんの方では、大阪だけの梅田と言う意識でなかったと思うが、そのあたりは? 

(岩本)

 あまりそういう意識はない。北ヤードのコンペの時に、「かつては日本のアイデアとかまちづくりのアイデアは大阪から出ていたのに最近は何も出ない。吉本とたこやきとタイガースしか大阪のイメージがない、これではダメでしょう。」と東北の人が書いている。これがナレッジキャピタルに繋がった。単なるオフィスだけではなく、日本や世界に発信できるものを作ってよいと思う。

(平峯)

 東北の方が大阪に持っている意識が政策を立案し、実行する人に浸透しているのかどうか? 大阪はかつて大大阪であったが、その辺りが無くなって来ている。大阪が一地方になるのが困るので、なんとか日本の大梅田に持って行く意識が必要であろう。村橋先生が言われる駅とまちの一体化をエリアで考えるのは楽しいが、実行するのはものすごく難しい話である。このような一体性は今後どうなっていくのか? 

●大阪駅周辺を人の空間に

(村橋)

 梅田を打ち出すには、JR大阪駅を中心に半径何百mかを完全に「人の空間」にすることだと思う。そのため例えば駅周辺の建築物については付置義務駐車条件をなくし、人の空間にすべきであろう。駅と北ヤードをくっつけて実験してみればよいと思う。そのためには、産官学にマスコミと政治を加え た5つの分野からなるペンタゴン体制で施策を推進し、プロパガンダしていくことが大事である。

●社会の縮小傾向の中で、大きな商業床をどう維持・発展させるか

(平峯)

 少子化高齢化が進み、人口が減ることが見えてきている。さきほどもあったように、開発で大きな建物ができ、百貨店もそれなりの床面積を持っている。これを次の世代に渡す時に、どう考えればよいのだろうか? 都市が縮小し、床が使われない、大赤字になるという人もいる。今やっている事業を含めてこれからの事業をどう考えるのか? 

(星野)

 昭和35年ころ、天野先生が「東京診断」と言う本を出された。当時東京は1000万人の人口があり、毎年30万人ずつ人口が増えていった。通勤地獄、住宅難、水飢饉、下水の垂れ流しをどう解決して行ったか? 結局はインフラを整備して難題を解決した。その時その時先人が努力したのだと思う。先人がどういう風にやってこられたかを学ぶ必要がある。これからのインフラは、衣食住を満足させるだけでなく、自己実現や自我の問題を解決しなければならないので難しい。また、高齢者が多くなるので高齢化対応の施設が必要になる。大阪駅はユニヴァーサルデザインにしろ、オープンスペースにしろ、大分出来た。これをモデルにして、周囲へネットワークを広げていくことを考えなければならない。

(平峯)

 高齢者が増え、そちらへシフトする動きがある一方で、大丸は若年層へシフトしている。その辺りのバランス、見通しがかなり難しくなっている。総合的にすべてのものを成長戦略の中で考えないと難しいと思う。その辺り村橋先生如何ですか。

(村橋)

 人口減の社会、都市がシュリンクする時代の都心のあり方であるが、少し違った話から入ると、大阪市は250万人にとっての大阪市のありようを考えなければならないので、梅田に精一杯力を注ぐことは出来ないと言われるが、皆を強くすることは出来ないので、選択 的で、強くするところは強くするため投資を集中させることが必要である。ある期間は集中してやるということが重要であり、その対象が大梅田である。

●梅田を動かす仕組み・仕掛け

(平峯)

 集中してやり抜くということについて、誰が方向精を出すのであろうか? 以前は調整する機能が国にあり、霞ヶ関とか近畿地建と一緒になって議論をすれば方向性がまとまってきた。その機能があったから事業が出来てきたが、最近その機能がどこまで出来ているか?

(星野)

 今までの歴史を見ると、このような大プロジェクトが起きた時に、派生するプロジェクトやまちづくりが出来ている。富山のLRTも、北陸新幹線のような大プロジェクトがあって、地元出身の方、国、JRなどの首脳会議でタイミング良く方針を決めてきた。大阪は「うめ北」というキープロジェクトがあるので、それによって他のプロジェクトも考えていくことになろう。リニアは大阪のどこに入れるのか。そのことによりまちづくり全体を皆で知恵を出して考える。大プロジェクトが決まれば、それを中心に、まちづくりをする方法もあるのではないかと考える。

(岩本)

 梅田という観点からは、鉄道3社がリーダーシップを取られるのが良い。鉄道会社は比較的長いレンジで考えられるし、地域のことも考えられるのが一番良い点である。大阪は危機的状況になった時、民間活力で救われてきた。大梅田は鉄道会社がリーダーシップを取れるエリアにあるのがよい。もうひとつは学で、関西の財産は大学。町中に出てきてまちづくりをやれば、世界的に負けないと思う。

(平峯)

 鉄道会社が先頭を切って、リーダーシップを発揮してまちづくりを進めていく、まとめていくのは大変面白い。次回、JRだけでなくほかの鉄道会社のお話も是非お願いしたい。大学についてその通りであるが、大学人については、関西学研などは奥田先生ものすごい力で引っ張って行ったのに対し、最近はどのようであろう?

●次世代の人材

(村橋)

 次の40代、30代の人達で、この種のことを本気でやれる人を育てなければならない。今日の企業、役所、大学の世界で、特に開発系の話を出来る人が少ない。 このような人々を育てる機会を作らなかったことを反省している。机に座っているだけでなく、一緒になって行動できるよう、若い人を引っ張り出す機会を作りたい。また、関係者の一つの場を作ることが大事 だ。昔は何とか委員会を作り、そこで、カンカンガクガク議論をし、コンセンサスを取りながら計画を実現してきた。そういう場がないのが今日の問題である。

(平峯)

 プロジェクトの面白さを忘れているのか? 物を作る面白さを教えて欲しい。国も本気になってやってくれる人がいるのか? 次の課題として、リニア、なにわ筋新線と大梅田のあり方北ヤードの第2期の問題をどう扱うか、文化的な環境づくりをやる必要があるのではないかについて、村橋先生のお話にあった官やマスコミにどうアピールしていくか?

(池田)

 文化的な環境づくりについて、8つの広場を作ったので、鉄道が走っている制約はあるが是非使って欲しい。リニアについては山陽新幹線との接続が必要。東京に繋がっていることが必要で、リニアの駅をどこに作るかはいろんな議論があってよいと思うが、山陽新幹線としっかりと接続させることは考えておいて欲しい。なには筋新線はずっと作るべきといってきているので受け止めて欲しい。

●次回のテーマ

(平峯)

 最後に次回に繋がる意見をお聞きしたい。次回は、梅田に係った事業をお聞きしたい。阪急、阪神、JR、区画整理、地下鉄の過去をふり返っておきたい。それに加えて、大梅田、リニア、北ヤード2期といった事業を40年、30年かけて作っていく中身はどうあるべきかを議論してみたいと思う。

(岩本)

 難波、阿倍野、場合により京都、神戸からの発想も大事なので、そのような方も入ってもらい、大梅田がどうあるべきか語って頂きたい。

(星野)

 東京は丸の内だけでなく、新宿、渋谷、池袋など都心がいろいろあり、それをJR・地下鉄・私鉄が高密度にネットワークを形成し、回遊性を高めている。大阪は第2の鉄道密集地であるが、鉄道が京阪神一帯でどのように役立っているか研究してみる必要がある。もう一つは東京の大丸有のような街づくり協議会に、阪急、阪神、JRなどがどのように関わっていくのか見守りたい。

(池田)

  JR大阪駅は阪急、阪神等に学んだ。もともと阪急はJRを越えてあった駅を北にセットバックした。その跡にビル群を作られた。今考えるとあんなものかと言う人がいるかもしれないが、その時代に大英断をした状況を取上げて欲しい。温故知新と言うことで次のまちづくりにつなげて欲しい。

(村橋)

 外から見た大梅田と言うことで国交省の人達にも入ってももらい、我々の議論をどのように捉えているか直接聞いてみたい。

(平峯)

 今日は座談会で議論をまとめる必要はなく、次の議論のテーマが見えてくればよいと思う。最後にフロアからは?

(フロア)

 大阪は一寸した時に知的な作業を出来る止まり木みたいなスペースが少ない。北梅田でもこのようなスペースが出来るとそれだけで知的なワーカーが集まり、集まる以上の効果があるので、配慮したらどうか。

(平峯)

 今回のいろんな意見を頂いたことを反映して次回開催したいと思う。是非皆さん次回もご出席いただきたいと思う。大変有難うございました。


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