YUYU36.gif (1694 バイト)       配分の難しさ

平峯 悠

 モノを配分するということは簡単なようで大変難しい。子供にお菓子を分ける時、一般的には等分する。しかし子供の年齢や大きさに違いがあるときには例えば「お兄ちゃんは大きいんだから」ということで差をつけて配分。しかし世間ではおかずが人より少ないだけで殺人事件にまで発展することもあったり、また同僚との給料の僅かの差で人間関係まで悪くなる場合も多く見られる。さらに国の予算編成で、道路、河川、下水、公園、住宅などのシェアーを変えようとしても、反対が多く変更は容易ではない。

 興味深い事例がある。ある日本人が三人のアメリカ人の女性を雇い、1年目に給料を三人とも同じ額だけ上げた。すると一人が「三人の中では私が一番働いている。全然働いていない人もいるのに何故同じように月給を上げたのか」と文句を言う。「同じ年に働き始めたのでフェアーに三人とも上げた」といったところ、アメリカ人はものすごく怒り「そう言うのはフェアーとは言わない」という(*1)。配分の基準が異なる。日本では誰にでも公平に出来るだけ同等にすることが正義とされ、これまで現実に存在する配分の不平等が容認されてきたのは、経済や予算、給料もポストも右肩上がりで増加し続けたためである。

 しかしこれからはそうはいかない。加藤尚武は「この定常化社会で何が文化的に最も重要な価値をもっているかと言えば、配分方法であると思う。人類の生活規模全体がある上限を定められ、その上限の中で何とかやりくりして生きていかなければならないのだから、国際的にも国内的にも、もしかしたら家庭の中でも、配分方法が最も大きい問題になる。適正な配分方法を持つ社会となるかどうかということが、この未来の人類に課せられた最大の課題ではないかと思う」と言っている(*2)。この指摘はうなずける。

 今後の街づくりでは、人口の減少と高齢化、更に財政の縮小の中で、道路・河川・下水・住宅等の公共事業のどれを優先しどれを遅らせるのか即ち事業費の配分、また土地や人口の再配分と再配置、政治・経済・金融等の機能の再配分(首都移転を含む)をどのようにしてどのような理論で行うのかが問われる。配分には痛みを伴うため国民・住民が納得する基準が不可欠である。言い換えれば新しいシステムの構築を急ぐということになろう。

*1 日本人とアイデンティティ 河合隼雄 創元社
*2 進歩の思想 成熟の思想  加藤尚武 講談社学術文庫


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