戦略と戦術

地域デザイン研究会代表 平峯 悠

 今から10数年前、土木学会関西支部において「都市開発の手法と戦略」という名前の調査研究委員会を立ちあげたことがある。しかし今思うと戦略ではなく、都市開発をどうしたら円滑に実施できるかという戦術に重点をおいた委員会であった。

 戦略(strategy)と戦術(tactics)は明らかに違い、戦略の重要性を強調する人が最近増えてきている。その背景としては、これまでの日本は欧米先進国を手本として追いつき、追い越せが至上命令で、当面の問題や課題の解決を図ることを最重点とし、新たな価値観や概念に基ずく目標の設定やシステムの構築は後回しにした。結果としては世界の国の中でも有数の経済力を持ち「最早世界の国から学ぶことはない」と有頂天になっていた時期もあったが、現在ではその反動から閉塞状態に陥っていることがあげられる。

 中西輝政京大教授は「アメリカは自国の衰えを意識しだした1980年代から、経済的な覇権を再確立するための国家的戦略を打ち立て着々と実行に移してきている。例えば、ジャパンバッシングはじめ多くの方策は国の戦略に基づく戦術である。これらの国際戦略に対し、日本は方向が見いだせず、目先の課題解決に右往左往し、その場しのぎの方策、問題のあと送りに終わっているに過ぎない。これは経済に限らず、政治や個人の人生設計から教育、文化、価値観全てにわたって共通して見られる」という。(中央公論1998.10)

 これからは遅まきながら戦術から脱却し、より大局的な戦略を重視していくことが必要なのである。街づくりも同様に、今までのやり方を踏襲しつつ、一部を手直ししたりすることではなく、従来よかれと思っていたことを根本的に見直し、新たな枠組みを造ると言うことに取りかからねばならない。言い換えれば、新しい街づくりの「戦略」を基本に据えそれに従った効果的な「戦術」を見いだしていくということに他ならない。

 それにしても日本の社会や組識にはつまらない策略や机上の空論をもてあそぶ人達のなんと多いことか。そんな人がいかにも仕事ができる風を装い、力を持っているように振る舞う。そのような組織や会社は衰退する運命にあると思う。

 私たちは現実に行われていることが戦術なのか戦略なのかをよく見極め、改革を断行する「戦略家」になるように努めなければならないと考えていますが如何ですか。


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