地域デザイン研究会 2009フォーラム

関西・大阪の都市基盤 温故知新

〜都市基盤の思想を知り、次代の都市戦略を考える〜

 地域デザイン研究会の2009年フォーラムは2月14日、「関西・大阪の都市基盤−温故知新」をテーマに、現在の都市基盤をつくった先人達と、次代を担う現役達の新旧2世代の土木技術者が語り合うかたちで開催された。幹線道路や鉄道網、ニュータウン、空港の整備に邁進した時代とは社会背景やニーズが大きく変わった今、若手技術者には、あらためて都市基盤の思想を知り、新たな都市戦略が求められている。フォーラムでは現役の土木技術者が投げかける多様な疑問や課題、問題提起に先人達が答える方式で進められ、それを踏まえて今後の方向性を探った。

■開催日時:2009年2月14日(土)13:30〜16:30

■場所:大阪市立弁天町市民学習センター講堂

■出演者

<先人達>

岩本康男氏(大阪市街地開発(株) 社長)
平峯 悠氏(NPO法人地域デザイン研究会 理事長)
星野鐘雄氏(ジェイアール西日本コンサルタンツ(株) 技術顧問)
村橋正武氏(大阪工業大学教授・リエゾンセンター長 立命館大学総合理工学研究機構客員教授)

<現役達>

石塚裕子氏(八千代エンジニアリング(株))
岡本早夏氏(ジェイアール西日本コンサルタンツ(株))
尾花英次郎氏(大阪府都市整備部)
金田和久氏(西日本旅客鉄道(株))
土田香織氏(いであ(株))
松村暢彦氏(大阪大学大学院工学研究科准教授)

<コーディネーター>

岡村隆正氏(大阪府都市整備部)

■論点

(岡村)


岡村隆正氏

 当初のチラシには「温故知新」としていたが、前半で交通基盤系、後半で地域開発系とテーマを分けて進めたい。進め方として現役の方々にテーマに沿ったプレゼンをしてもらい、それに4人の先達の方々から考え方などを話していただく。

 これらを受けて今後の取り組み方について議論していただきたい。本日の論点を整理してみます。

 現在は過去の(先人達の)軌跡の上にあるが、社会資本が一定的に充足し投資余力もなくなった今、われわれ現役にはかつて先人達がしていた長期的視点が求められなくなった。現役自身も考えなくなったのではないのか。社会資本をつくる立場としては、先人達の理論や長期的視点を知る必要があるだろう。それに沿って、現役世代に課せられている命題・課題を明らかにしていくことが求められている。

 論点、課題として、次のように3つの項目 (@現状のチェック A今後の社会をどのように予測するのか B見直し→新たな方向)として整理してみた。

  1. 現状のチェック=@現在の人々が利用し、生活の基盤となっている社会資本はこれでいいのかAよりよき環境で住み、暮らすための社会資本を生活の面から評価すべきではないのか。
  2. 今後の社会資本をどのように予測するのか=@少子化、高齢化、人口減少などA明日は今日より良くなるという西洋的文化思想(文明の歴史)をどの程度まで考えるべきか
  3. 見直し→新たな方向=@現代社会は次世代が利用する資産を残すべきなのか、または残す必要がないのかA残すべきとするとどのような社会的資産を創出していけばいいのか

詰まるところ、

まずは、松村さん(大阪大学大学院准教授)に若手技術者を社会に送り出す立場から、現役の技術者が置かれている状況などについて発言していただきたい。

交通基盤系

■われわれ若手技術者は何を学ぶのか/「整備とマネジメントのセット」/「根っこの気構え」

(松村)


松村暢彦氏

 1960年代のクルマの広告には、「カローラは実力派。すでに52万人の折り紙つき。あなたを信頼されるリーダーに変えます。」というタイトルコピーで、ヘルメットを被った土木技術者の写真が使われている。

 土木技術者は、高度成長期には信頼されるリーダーだったはずだが、今は必ずしもそうではない。事業がない。事業をしない。その場限りのイベント系が増えた。今は長期的視点がなくとも仕事が回る環境にあるのかもしれない。一方で、NPOや市民との協働や他分野の専門家との連携は、昔の世代より経験豊富である。昔の技術者の時代は何十年先を見据えた仕事ばかりで、改まって長期的視野を持てと話す必要はなかったと思われる。計画・整備の時代における社会基盤の「計画」「整備」は、いわば宝であろう。

 現代はマネジメントの時代と言われ、長期的視点が重要さを増す。学生達は維持・管理・補修とイメージしまいがちだが、マネジメントとは目標像に近づけていこうとする社会的行為。既存のものを活かすと考えればいろんな行為が可能だ。

 先達の「計画」の思想を学ぶことで、マネジメントの時代における「整備」と「マネジメント」とのセットとして活かせるのではないのか。また、現代での多様な主体との協働・連携の経験に加え、「長期的視点」を学ぶことによって、スーパー土木技術者の養成に向けられるのではないかと考える。

 (先達が携った)社会基盤計画・整備の事例は、長期的視点を学ぶ教材になり得るため、それらを次年度の大学の授業に活かしていきたいと思っている。

 土木技術者の根っ子を育てるという観点からは、若手に対して「世のため人のため」精神の涵養が大切だと思う。また、「コミュニケーション能力」の育成が求められるが、

  1. 相手の話を聞き、謙虚になること。
  2. 論理的に考え、自己主張をしっかりすること。
  3. 自分とは違う考えの存在を認めること。

それらを踏まえてアイデアや技術をつくり上げていくことが大切だと思う。


■鉄道の「路線選定」/「方式選定」/「他線との接続」は?

(金田)


金田和久氏

 私は大阪駅再開発プロジェックを担当している。これは単に商業施設をつくるのではなく、JR大阪駅周辺地区における駅と街の関わり・連携を考えてのプロジェクトで、駅を介して街と街が一体となった、大きな街にすることを目指している。

 担当プロジェクトにおける地区全体を見据えた公共動線・広場計画の私の経験を踏まえ、大阪市周辺鉄道整備の「路線選定」「方式選定」「他線との接続」について、計画策定時に利用者ニーズは考慮されていたのか、事業者間や関係者との調整は十分だったのか。計画する際にどのような発想をしたのかを聞きたい。

 「路線選定」では、難波駅を中心として東西に地下鉄千日前線が走り、これに沿うように東へは近鉄大阪線、北西へは阪神なんば線(3月開業)が走る。郊外の私鉄沿線と都心を結ぶニーズの傍らで、市営地下鉄のネットワーク化いうニーズがあり、両方が重複する形で実現してしまったのかと考えられる。異なるニーズへの対応という発想であるのなら、千日前線東部の南下する部分で近鉄線交差部に駅を設けての乗換え円滑化や、柔軟な運賃設定で対応ができ、二重投資は避けられたのではないのか。


大阪駅開発プロジェクト


鉄道網図(大きくする)

 「方式選定」では、地下鉄中央線コスモスクエア駅でニュートラムに乗り換えることになるが、乗換えが辛い。大阪市基本計画でコスモスクエア地区は拠点と位置付けされており、戦略拠点のアクセスとして中ふ頭駅までを地下鉄方式とするのが自然な発想ではないのか。

 「他線との接続」の疑問は、地下鉄中央線・御堂筋線・四ツ橋線の乗換駅である本町駅地区。動線が曲がりくねり、距離も長く、上下方向の移動も多い。地下埋設物や構造上の問題などがあったとは思うが、相互間の調整でもう少しうまくできたのではないのか。

■まちと交通システムとのつながりは?/整備新幹線の問題


岡本早夏氏

(岡本)

 個人と最寄り駅、まちとまちのつながりの中で、疑問に思うことを聞きたい。徒歩で移動できる生活圏があり、生活圏から最寄りのまちへのアクセス方法は、

  1. 最寄り駅から公共交通機関の利用
  2. 車の利用

の2通りが想定される。さらに最寄りのまちと別のまちが鉄道や高速道路でつながり、行動範囲が広がる。個人と最寄り駅のつながりに関して、鉄道新駅設置の需要予測では、駅から1.0km〜1.5kmの徒歩圏の住人を利用客として見込んでいる。ニュータウンでは、小学校区を核としたコミュニティを形成しており、駅の徒歩圏域外も開発を行っている。コミュニティによっては最寄り駅まで歩いて行くのは無理。駅から離れた地区に住む人たちの移動手段として考えられるのは、駅まではバスや車だが、高齢となり車の運転ができなくなった場合にどうするのか。バスと電車の接続に問題ないのか。生活圏と最寄り駅や「まち」とのつながりは、どのような考え方で整備されているのか。

 私は北陸新幹線富山駅の設計に携わっているが、現状では在来線で富山〜新大阪、富山〜東京ともに3時間程度。金沢〜新大阪は2時間30分で、金沢は大阪に近い「まち」と言える。しかし北陸新幹線は平成26年に金沢までが開業する予定で、その時点で金沢〜東京は2時間20分となり、金沢でさえ東京に近くなってしまう。先につながった「まち」に人が流れていってしまうのではないのか。「まち」と「まち」をつなぐ大きなネットワーク整備は、どのように考えられているのか。

■人と都市空間/車社会と地域コミュニティ

(土田)


土田香織氏

 車中心の地域整備で引き起こされた問題点は、地域コミュニティがなくなってしまったことだと思う。自動車交通の効率化を図る道路整備の反面で、歩行者のための道路整備が遅れてしまった。幹線道路整備では横断歩道橋や地下道など、歩行者が上下移動する形になり、生活道路では狭い幅での歩車分離で歩き難く、生活しづらいまちになっている。

 都会では地域とのつながりが希薄で、孤独死・虐待、脆弱な防災・防犯体制が問題となっている。地方ではコミュニティを担う人がいないことが問題になっているが、都会では職が多いこともあり人が集まり、いろんな人とのコミュニケーションができ、人の輪を広げられ、それが本来の都市の魅力である。大阪は商店街の賑わい度があるポテンシャルの高いまちだが、地域交流のための仕掛けが不足している。車中心型道路整備によって、大阪のまちでは地域交流のもととなる社会的空間(偶然の出会いの場)が減ってしまったのではないのか。例えば会話を交わしてゆっくり歩ける道、休息の場・溜まり空間のある街路が、生活の身近で不足している。地域コミュニティがある所では、防犯、防災、地域の賑わい、文化の伝承など、居住環境としての魅力度の向上につながる。それは都市づくりの真意「心の豊かさ」の実現につながる。大阪経済の維持・発展のために良質な人材の集積・育成は不可欠だが、そのための環境としても都会での地域コミュニティは有用である。私の質問として、地域交流の活性化につながる社会資本整備の観点から、先達は車と都市の関係をどのように考えてきたのかを聞きたい。

■関西国際空港の計画論と活用方策

(尾花)


尾花英次郎氏

 関西国際空港の計画論と今後の活用について問題提起をしてみたい。

 1974年、航空審議は「大阪国際空港(伊丹空港)の廃止」を前提に、播磨灘・神戸沖・泉州沖という候補の中から、関西国際空港の最適地を「泉州沖」とする答申をした。私が大阪府に入庁した平成元年(1989年)当時は、関空へのアクセス道路などアクセスインフラ整備の最盛期であり、当時の活気に懐かしい思いがある。関空の現状は便数減少が続いている。民活方式でスタートしたこともあり、着陸料金が高いのもネックであり、国からの配分予算額も少ない。

 伊丹と関空の交通アクセスの時間比較では、鉄道では梅田〜伊丹間30分、梅田〜関空間50分、バス・車では難波〜伊丹間25分、難波〜関空間48分。遠い・不便というのが関空の現状でもある。関空を活かす観点から、交通アクセスの強化がクローズアップされている。道路では都市再生環状道路(淀川左岸線・同延伸部、大和川線)、第二京阪など広域的道路ネットワーク、なにわ筋線を始めとする鉄道網計画などを、空港へのアクセス向上につながるインフラとして整備する必要がある。

 私は公共事業に携わる土木技術者として、公共事業で生み出す社会的利益を念頭に置いており、空港や交通網は後生に受け継がれる重要な社会基盤であり、都市の発展に寄与すると考えている。

 私が質問したいのは2点。

(岡村)

 交通基盤系について現役からのプレゼンを要約すると、金田さんからは公共交通政策、岡本さんからは個人と街のつながりにおける交通問題、北陸新幹線に関係する話。土田さんからは車中心型におけるコミュニティおよび生活との関係。尾花さんからは関空問題。これらについて先人達に発言していただきたい。

(村橋)


村橋正武氏

 40年前の大阪万博開催当時、我々は現役だった。振り返ると、都市インフラ、地域インフラの絶対量が少なく、とにかくつくらなければならなかった。加えて、都市にものすごい勢いで人が集まってきた。この人達をどこに住んでもらい、どうサポートするかを考え、対応することが何よりも最重要課題であった。需要にいかに対応するかが、交通インフラ整備の基本にあった。岡村さんの論点整理の中で、次世代のために財産を残すべきかと問われたが、私は絶対に残すべきだと思う。我々は先達が残した財産を活かして活動しているのであり、使い切るのでなく、次世代へのインフラストックとして何を残すかの観点を、現役は持つべきだ。

 松村さんから、現代は長期的構想を立てるのが難しい時代という指摘があったが、前の時代に長期展望が自然にあったかといえば、決してそうではなく、必死になって考えた。今はカネがない、経済の見通しがたたないと言われるが、私の考えは全く逆で、時代背景が大きく変わっただけに、人口減少社会、高齢化社会、グローバル社会にあって、新しい構想を立てるべきだと思う。

(平峯)


平峯 悠氏


星野鐘雄氏

昔と今とでは時代の背景が完全に変わったが、私もどんな状況であろうとも長期展望は持つべきだと思う。

(岩本)

 松村さんが紹介した1960年代のクルマの広告、黒四スタイルの土木技術者の写真を見ると、土木が輝いていた時代であることが分かる。しかし今の時代は、建築、芸術を含めた違った形でPRができるのではないかと思う。 昔の現役を集めて話を聞くと、計画よりも事業を進める際のお金で苦労した話ばかり。事業というか、カネの問題が全てではなかったのか。私は35年間、計画を長く担当してきたが、計画だけでは意味がないと思う。

(星野)

 土木屋は本当にカネ集めに奔走してきたと思う。私の関係で言えば、国鉄は自己資金がなかったため、国や府市の方々に頭を下げて鉄道整備のための補助金を頂いたことを思い出す。

 新幹線の大命題は、国土の均衡ある発展。7,000qの新幹線網を昭和60年頃までに整備する計画だった。

 その新幹線が今は東京一極集中になっている。北陸新幹線は昭和48年に整備計画が策定されたがオイルショック等の影響で凍結。今は東京〜長野までが開業し、金沢までが工事中で、平成26年に開業予定。これで北陸は金沢までが東京に近くなる。富山、金沢は、心は関西でもカラダは東京に向かっている。

 なぜ西が進まないのか。京都は当時革新市政で、新幹線公害問題が取りざたされた。計画を決めるのは中央で、京都は飛ばして小浜ルートになった。現在もこのルートは消えていない。小浜、亀岡を通って南下し、新大阪に直行して新御堂筋下を通る計画で、私は当時大阪市に区画整理が終わった新大阪北側を区画整理し直してくださいとお願いした。断られると思っていたら「やりましょう」と言われたが、あの時、やらなくてよかったと思う。なぜかと言えば、やはり京都は日本や世界の財産。京都に停まらない新幹線は意味がないと思う。京都につなぐ意向はあるが、敦賀から湖西に路線をつくるか、湖東ルートで米原につなぐか。米原だと東海道が一杯になるため、JR東海は歓迎しないだろう。北陸新幹線は東海道新幹線が地震で被害を受けた場合の代替機能を持つが、現実はそうなっていない。

 新幹線の東京一極集中は、地図(新幹線概要図)を広げれば明確に分かる。東京〜新青森が間もなく開業、新函館までが着工済み。秋田、新庄は在来線活用のミニ新幹線、新潟(上越)新幹線は開業済み。長野までが開業済みで、軽井沢は銀座の賑わい。東京から四方八方に出ているわけで、逆に大阪は東海道・山陽新幹線開業以降は数十年間何も進んでいない。

 九州の方が活発で、博多〜新八代が再来年に開業すると鹿児島までがつながり、関西方面からの利用客が増加する。新幹線はプラス要因だけかといえばそうではない。鹿児島は篤姫人気で増えたが、逆に某駅は吸い取られることもあり、一概に地域発展に寄与するとは思わない。

 交通問題は地域問題だと思う。東京一極集中に追い討ちをかけるように、リニア新幹線をJR東海が自力で行う。しかしこれは名古屋までで、開業予定は2017年。東京一極集中がますます加速する。交通はカネの問題が関係する。1つは航空で、空港を支える財源はジェット燃料と着陸料。私は航空審議会の事務局を担当したが、ふるさとの佐賀空港は、1日4本程度しか飛んでくれない。

 総合交通の観点から、ヨーロッパのように財源を全体でプールし、航空、道路、鉄道のどれがよいのかと判断した投資がなぜできないのか。これは今後の課題だと思う。

 在来線最寄り駅からのアクセス問題でうまくいっているのは近鉄学園前などで、私鉄が住宅開発した所は自社のバスを夜遅くまで走らせている。国鉄(JR)は幹線バスのため私鉄に頼らざるを得ないし、例えば阪和線に南海バスを入れることなどを実施した。もう1つは、コミュニティバスを利用する方法があるのではないかと思う。

(岩本)

 金田さんの指摘の中で、私も同感することはある。阪神なんば線開通で、地下鉄千日前線の利用客は減ると考えられる。コスモスクエア地区に関しては、当初は大阪港駅からニュートラムの計画で免許も受けたが、大阪港駅では乗り換えが難しいため、大阪港駅〜コスモスクエアまでは地下鉄に変更した。最後の貴重な人工島、夢洲の活用のためには、コスモスクエア駅からは既存地下鉄の延伸が最もスムーズにいくという判断だった。

会場(多田)

 千日前線および本町駅への指摘は、当時の需要追随型交通政策とカネとの問題で、当時として精一杯の結果だと思う。路面電車(廃止)の延長線上に地下鉄建設があり、交通局は市民のために市一円化主義を打ち出していた。大阪環状線内側は市営交通で賄う考えで、地下鉄ネットワークもその観点から進められた。地下鉄整備は昭和8年、御堂筋線から始まったが、その後の路線の大半は御堂筋線混雑緩和に追随して進められた。特に四つ橋線はその考え方が色濃く、駅を御堂筋線本町駅に近づけることは難しかった。

(平峯)

 関空の問題は、昭和40年頃から時代背景とともに人々の考え方が変わってきた。高度成長期の公害経験から環境に絡む運動として現れ、例えば伊丹空港のジェット機の航空騒音問題ではものすごい反対運動があった。伊丹空港を廃止し、阪神の拠点にするという壮大な構想も持ち上がった。その後、欲得も絡んで伊丹空港廃止に反対する機運が高まり、残すことになった。それでも公害問題はまだ続き、その集約として泉州沖5kmの今の関空となった。当時と時代背景が変わっており、関空の今後のことは新しい世代が考えてほしい。車社会の問題だが、1960年代から都市に車がものすごい勢いで増えた。車は危ない乗り物なのでバランスをとるべきだという動きはあったが、安全を主張しながらも、そのまま現在まで来てしまった。今後は、日本らしい車の使い方とまちづくりを変化させていかなければならない。

(村橋)

 万博開催を前提に交通インフラ整備が急速に進んだ。大阪府には十大放射三環状線計画という長期計画があり、ほとんどの幹線道路を一気呵成に整備していたのが1960年代だった。需要追随型とはいえ、無手勝流にインフラ整備をしたわけではない。今後のことを考えて、長期的展望と実行シナリオは常に持つ必要がある。現在、視野が狭められていることに対し私は心配している。

(平峯)

 大阪の広域道路網はどうあるべきかと昭和37年に策定したのが十大放射三環状線計画。当時、大阪府は母都市に対し周辺をどのようにするかを考えた。中央環状線は周辺衛星都市を周る55.8qで、当初はインダストリアルパーク、4大緑地を結び、120mの断面には緑地を配置しグリーンベルトを形成するという壮大な構想だった。これができなかったのは車社会の到来などがあり、やむを得ず計画が変更されてきた。今は高速道路があり、20万台程度の交通量があるが、当時は10万台を想定にして建設省に認めてもらった。この断面の構想を持ち続けて、今もまちづくりをしているつもりだ。これは長期構想、長期展望であり、何事も1年や2年で実現はしない。こつこつ進める基本的な姿勢が大切である。高齢社会を含め時代がさらに変わる中で、自動車道路網をあらためて考え直す必要があると思う。

(松村)

 長期的視野、長期的展望はこれからも必要で、イベント系であっても長期的視野は必要だと思う。自分たちの時代に合致させていくことが重要で、長期的視野は駅伝のようであり、バトンを確認する必要がある。自分の区間は覚悟を決めて走るべきで、若手技術者はその(先人達の)姿勢や機会の中身を学ばなければならないと思う。

(休憩)


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