REPORT

「東北復興現地調査」を実施

2012年現地シンポジウム報告

意見交換会や現地視察に14名が参加

震災から1年半が過ぎた8月31日~9月1日、今年度の現地シンポジウムとして、「東北復興現地調査」を実施した。6月の総会後に行った討論会「東日本大震災から学ぶべきこと」を踏まえたもので、その目的は、▼被災地の現況把握、復興に関わる人々を知る。▼震災復興と都市計画=都市計画法の改正の方向(災害と都市計画)。▼関西自治体のOB、現役の人材支援のあり方。▼NPOとして大阪での復興支援シンポジウムの開催にむけて。

8月31日は、午後1時からUR都市機構宮城・福島震災復興支援局との意見交換会、午後3時から復興庁復興推進官石塚氏との意見交換会を開催。別班で、亘理町の瓦礫処理施設を視察した。9月1日には、宮城大学助教鈴木孝男氏の案内で東松島市の復興状況を視察。続いてURの久坂斗了氏の案内で女川町の復興状況を視察した。

参加者は、岩本、岡村、小川、小山、坂口、立間、中尾、平峯、松島、道下、田中、前田、中出、鎌田の14名


女川町運動公園内の仮設住宅を視察

<1>UR都市機構 宮城・福島震災復興支援局からのヒヤリング(記録:岡村)

○UR出席者:UR都市機構震災復興推進役 小山潤二氏、支援局計画調整第1チームチームリーダー・加藤巧氏

<復興支援チーム>

<主な作業>

<3つの基本的な手法>

  1. 居住地指定し、公共で買収。山を造成

  2. 山と平地を一体区画整理

  3. 災害公営住宅の建設

<現地の課題>

  1. 自力再建が難しい人が多い(災害公営住宅を建て過ぎても)

  2. 資材・労務者不足③用地買収職員不足

<復興が見えない原因>

  1. 初動期の国の指導力の差(出動の順番は)ⅰ.ボランティア ⅱ.国の外郭 ⅲ.UR(売込みしてやっと)→※1.

  2. 交付金の規模が、昨年12月までわからず。(遅れた一因)

  3. 首長のリーダーシップで差
    →※2.※3. 

  4. 広域合併の弊害(Ex.石巻広すぎて手が回らぬ)

  5. 県が希薄(県道、堤防、認可のみ)

  6. 高齢化が進む地方都市の生業の再生が問題(七十七銀行とタイアップして取り組み始めた)

  7. 派遣の仕方→※4.「短期間で人が代わる。部品的支援」でなく、「一括まるごとチーム支援」

※1.スマートグリッドでなく、安心して住める住宅が先(理想形より現実重視)

※2.市民に見える目標が必要⇒「いつできる」発言
 Ex.女川町長:「秋のさんままでに、「加工施設稼動」「災害公営住宅入居」「高台入居」の実現を」

※3.首長の思い受け止める部長が必要

※4.

<参加者からのコメント>

  • URそのものの存在意義と今回の大震災におけるURのノウハウ・人材の活用を国は完全に混同しており、URにとって辛いし、被災地にとっても辛いと思われる。そのような厳しい状況の中から、昨年7月の正式立ち上げ(20名)から今や200名規模で16市町村を支援している姿を確認できた。

  • URと地方公共団体から合せて三百数十名の技術者が主に市町村に派遣され、復興の実務を担当している。こういう形が、阪神大災害に続き、わが国の大規模災害の実働体制になってきている。しかし、両者とも公共事業の敵視政策のあおりで、技術者の新採を減らし、組織に余力がない。しかも、実務経験が乏しくなってきており、人材という点で、先行き不安だ。そういった中で、今回のURの復興支援に当たっている人材は極めて貴重である。土地区画整理事業については、自ら施行者となるぐらいの覚悟を示してもよかったのではないか。

  • 復興に際しては後世「URがあって本当に良かった」と言われる働きをしたいと小山震災復興推進役が建通新聞でコメントされていたが、直接話をお聞きして、正しくそのような活躍をされていると実感した。

  • 16市町の中では、行政の対応により差があり、基本協定を巻いて実際の復興事業へ着実に歩みを進めている所と、まだこれからという所がある。

  • 復興事業そのものについては、atRISKのCM方式が採用されることになり、地方行政やURの人手不足等を十分補う形で事業化が図れる見込みと言う。

  • CM方式に対して、住民との合意形成には地元自治体の対応が必要であり、他都市の自治体やOBらによるサポート体制を強化する必要があると思われる。



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