釜山の時代別都市政策

釜山大学校教授 李 成浩

 釜山、Seoulをはじめとする韓国内主要都市の人口の推移(1960〜)を述べると Seoul は人口が増加傾向にありましたが、釜山、慶南は減少傾向にあります。(増加率も減ってきている)【地域別人口推移】

 これを町ごとに見ると、高層アパートが多いところが人口が増えてきています。そのアパートは今では、海抜100m近いところまで建っているという特徴があります。年度別でみれば、近年は山の上のアパートが増えていることがdataでも示せるところです。【海抜高度別共同住宅団地数】

 企業が釜山から他地域へ転出しているのも特徴であり、ここ数年は毎年100件を超える企業が転出しています。('77〜'91の15年間で446件と比べると近年の転出が多いのがわかる)

 一方、釜山に転入した企業は少なく、転出との比率は8倍近くにもなっています。

 出入りの交通量を見ると、朝7時から8時の間で、6〜7万台、一日で63万台程度が出ていって。また、夕方同じ数が入ってきます。

 釜山の地形を見ると、山が多く、谷のところに市街地・道路が集中しており、開発できる地域はもともと少ない。さらに韓国には、国が定めた開発規制zoneであるgreen beltがあり、居住区域・開発ができる区域が極めて限られています。【土地利用規制図

 市街地発展の経過として、1965年、1991年を示しています。(【土地利用の変遷
 西部に工業地(埋立地)が広がったことがわかります。

 総じて70年代は工業化、80年代は海を埋め立てる事業を行ってきました。また、海のみならず山も新都市して開発してきました。

 そして、これら開発にあわせて都市計画の区域も変更してきました。当初1937年に40万人でスタートした都市計画も、今では400万人規模になっています。東西のgreen belt (開発禁止区域)を考えると非常に限定された広がりであり、使える土地はあまりないのが現状です。これが、海抜の高いところに高層アパートが建つ背景となっています。

 開発制限区域は、1972年にできた制度、1982年には中央政府は釜山を成長抑制都市とする政策を行い、開発適地が少ないことが企業の転出を促進したといえます。

 まとめとして、釜山市の都市発展においては、なによりも、平野部が少ない地形と政府のgreen beltの政策が影響しています。


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