◆第一楽章「これからの社会資本整備をどこに導こうとしているのか」

(2)パネルディスカッション

(村橋)

 5名の先生方から多岐にわたる示唆に富んだ話題を提供していただいた。そこで私なりに切り口を4つに分けてみたい。

  1. 一つ目は社会資本整備の思想・考え方、基本的な認識の仕方。

  2. 二つ目は社会現象の反映からの社会資本整備であり、メガトレンドやパラダイムシフトはどんな方向に向かおうとしているのか。

  3. 三つ目は今後の社会資本整備の方向性。

  4. 四つ目は社会資本整備を担う技術者の在り方。

1.社会資本整備の思想

(村橋)

 一つ目の社会資本整備の考え方だが、平峯さんは「社会資本整備は社会現象の反映であり、人間社会は破壊と創造の繰り返しではないのか」と話された。私は常に、社会資本整備は「不易流行」という言い方をする。変わるものと変わらないものの組み合わせではないかと思っている。基本的には、変わるものと新しく生み出されていくものが時間軸とともに繰り返されていく。この点について発言をいただきたい。

(角野)

 私の言い方で「慣性的傾向」が、今の話と重なっていると思う。新しいデザインでも、新しい土地利用でも、それが新たに存在する時に、土地の履歴や経済活動をどう理解して受け継いでいくのかが重要になる。そのために技術者はもっと考えるべきであり、そのまち、その場所がどうなるのかを予測し、どのように引っ張っていくのか。空間の慣性を評価した上で新しい何かを付け加える決断をすべきだと思う。

(建山)

 ワルシャワのまちは戦争でずたずたに破壊された。ワルシャワの人たちは、まちを復興する時に昔の写真を見ながら崩れた石を積みなおし、家や町並みをつくっていった。彼らは歴史や文化を大事にしているからだ。日本では歴史や文化が希薄になってきたのがさびしい。社会資本を整備することで、単に便利になるだけでなく、歴史や文化が常に感じられる方向性が出てきてもよいのではないかと思う。

(川崎)

 明治以降の近代化で、ブールバールらの考え方が出てきて、戦災復興とともに今の都市が出来上がった。日本はもともと木造文化の国であり、災害でいつも壊され、壊れながらつくってきたという歴史がある。歴史的知恵の中には、ものづくりの知恵がものすごく含まれている。そうしたものづくりの知恵を掘り起こすことも大事なことだと思う。

2.メガトレンド、パラダイムシフト

(村橋)

 現在は混沌としていて、長期的展望が出されていない。それは人口減少や過去に経験したことのない経済状況などが背景にある。メガトレンドがどうであり、これまでのパラダイムでない新しい考え方に立つべきだという共通認識はあるはずだが、社会資本整備でとくに注目すべきことについて話してほしい。

(波床)

 かつての全総計画の中で最も目につくキーワードは「開発」、それが国土形成計画では「多様」に変わった。つまり、「開発」によって固定した国土像を目指していたものが、「多様」を受け入れる方向を提示しようとしている。今後は、一定の価値観でしか受け入れないような社会資本整備でなく、インフラだけに固執しない、様々なものを受け入れられる社会システム構築の方向ではないかと思う。

(角野)

 道路・街路や公園などの多義性をもっと評価すべきだと思う。人々は例えば道路をいろんなふうに使う。従来は交通の円滑化など特定の目的のためにつくるだけで、多義性・多重性を犠牲にしてきたともいえる。この施設はもっと他の用途に使うべきだといった視点を持ち、さらに多義性・多重性のポテンシャルの高い所を優先的に整備していく、あるいは残していく。逆に単一目的のものは除去するか、後回しにしてはどうか。

(村橋)

 琵琶湖疏水はまさにそれだと思う。もともとは交通手段として、船で荷を運ぶことが第一目的で、京都に飲料水を運ぶことは五番目くらいの目的だったのが、100年経って全く価値観が変わった。多義性・多重性を持ち合わせたしっかりしたインフラだからこそ、今まで生きているのではないのか。

3.社会資本整備の方向性

(村橋)

 これからの社会資本整備の方向をどう考えたらよいのか。この課題に対しては、発言者から様々な話題提供をいただいた。松村さんからは「かたち」、「しくみ」というこれまでの考え方に加えて、「こころ」もマインドという観点から大事だ。川崎さんからは、ものづくりとともに、まちや地域、仕組みの観点も必要だという指摘があった。角野さんから は、「都市活動と都市空間の取り組み方にズレが生じている。社会経済活動に対し社会資本整備が対応していない」として、今後の示唆をいただいた。波床さんからも「これまでの交通計画の発想の視点を変えよう」という指摘があった。建山さんは「これまではつくること中心だったのを、つくられたものを長期にわたり機能や効能、性能、歴史的・文化的な意味を含めて発揮させるために維持管理が大事だ」と指摘 された。各先生の発言から主なキーワードを抜き出してみたが、これらを踏まえてもう少し掘り下げて議論したい。

(松村)

 こころが重要だというのはなぜなのか。建山先生はマニュアルが技術者の思考能力を奪ったと指摘したが、私は同時に一般住民の考え方も奪ってしまったような気がする。例えば側溝をグレーチングですれば、道路の維持補修を住民が忘れるようになってしまう。空間がどのように使われるべきなのかを、設計者側から具体的に住民に働きかけることも求められる。そこまで面倒をみないと、我々が思うような社会資本整備をやったとしても、そのように使われない可能性があるからだ。

(村橋)

 実践の場が大事だという意味から、川崎さんは「知と実践の総合的営為」と指摘されたが、今の話はそのこととつながっているのではないかと思う。

(川崎)

 住民参加の問題が、私にとっては難題だと感じている。設計領域の形や機能の要望まで出てくると、これを説得するのにものすごく時間がかかる。何でもかんでも住民参加というのは問題があると感じている。

(建山)

 今行われている維持管理の仕事は地味な感じで、傷んだから直すという仕事をしている。もう一歩踏み込んで、もっと楽しい仕事に変えたらよいのではないか。単に復旧するだけでなく、今までより上のものに直していけば、まちも地域も少しずつ良くなり楽しいのと思う。

(村橋)

 角野さんから「慣性化と反作用の相克」という話があったが、これも大事なコンセプトだと思う。まちづくりで一旦つくったものが既成事実となり、それが固定概念となって物事を決めてしまっているところがある。一方で平峯さんが指摘 された「破壊と創造の繰り返し」では、どんな行動をとろうとしても大変なエネルギーがいる。角野さんの「慣性化と反作用の相克」という考え方からみて、今後の社会資本整備の あり方として、どんな配慮が必要なのか。

(角野)

 なぜそのものが存在するのか、なぜその形、その素材が使われているのかを市民と一緒に勉強していくプロセスが必要だろう。共通理解の上で、例えばこれは地域の文化継承にとっていいから形や素材を残そうとか、次の時代のものとして変えていこうとか議論をいていくべきで、今はその議論がほとんどされていない。確かに手間はかかるが、そのことが、市民がその後に維持管理に関わっていくきっかけにもなるはず。私は「ズレ」ということを話したが、例えば橋をつくる際に、橋ができるまでの期間、市民は何らかの対応をして暮らしているわけだ。変化途上であることを住民側が受け入れて、そのズレを上手にこなしていく生活の知恵が市民側(ユーザー側)に必要となる。改善、変更の過程とどう付き合っていくかを、市民側がもう少し勉強すべきだと思う。

(平峯)

 各先生方の話は非常に分かりやすくて、参考になることが多かった。一方で、私たちが実務に携っていた頃は、自分の仕事がマスコミなどにも取り上げられ、何らかの反応があったため、仕事にも馴染んでいけた。先生方の話題提供の中身を世の中にどう評価させるかということが、どうも少ないのではないのか。その辺りのことをもう少し整理してみてはどうだろうか。

4.技術者のあり方

(村橋)

 最後に技術者のあり方について伺いたい。松村さんは、「世のため人のため」にコミュニケーション、ものづくり、ことづくり、仕組みづくりのことに触れ、こころの話を された。建山さんは、従来の技術者の力量以上にメンテナンスを考えるためには、より高度な力量を身に付ける必要があると話された。一方で住民との関係では、住民側が受け入れてくれるのかどうかについて、真正面から向き合わなければならなくなった。平峯さんの資料の中には大学教育に望むことが書かれ、技術者というより人間性そのもの が問われている。技術を磨くだけでなく、人とも会話でき、人の心を受け止められ、それに対して返すことのできる力量を教養として持っている人間、そのような技術者が求められているということ が述べられた。今後の世の中を担っていく若い技術者や学生たちに対し、先生方は教育の場からどんなことを伝えようとされているか。

(松村)

 めんどくさい、しんどいことから挑む、その先に楽しいことがある。それを大学生活の中で実践してもらおうとしている。その経験があるかないかで技術者としても変わってくるのではないかと思う。

(波床)

 教科書に載っている以外のことにも興味を持ち、やってみることが大事だと思っている。例えばLRTの次世代型路面電車では、軌道敷に芝生を敷かなければならない。綺麗な芝生を敷くにはJリーグの芝生の管理の仕方がいいのではないかというように、およそ関係のない分野のことが役に立つこともあるわけで、いろんなことに興味を示しアンテナを張り巡らすことが、後々よい結果をもたらすこともあると思う。

(建山)

 10年前に私の父が亡くなった。入院先の医者が若く、一生懸命説明する姿に大丈夫なのかとも思ったが、逆にさっさと済まされる方が不安でいやなもの。その若い医者は懸命に考えて説明してくれたから、こちらも逆に安心した。維持管理の仕事も、単に個々が悪いから直せばよいというだけでなく、その構造物がどうなっているかの愛着心というのか、一つひとつを大事にして考えてもらうとうれしい。そんな技量を身につけてほしいと思っている。

(川崎)

 学生に対しては、研究室にいるのでなく、とにかく地域に入っていけと言っている。インターンシップの活用も重要なこと。また、研究の意味を考えること、とくに背景の部分を十分に考えることが大事だと思う。さらに研究成果は世界から見られているのであり、書いたことは筆頭著者になるのであり、世界に人に分るように書けと教育するのも大事なことだ。

(角野)

 技術者にはコミュニケーション能力やマネジメント能力も必要だが、その上で最後の最後には「ノー」と言える知識と技術、そして自信を持ってほしい。皆の話を聞いて、調べた上で、だから「ノー」なのだ、あなたの考えは間違っていると言える覚悟・責任を持てるくらい、勉強してほしい。

(村橋)

 会場から質問や意見を聞きたい。

(会場)

 しくみ、かたち、こころの問題が強調されたが、予算が少ない中で、今後の社会資本整備では都市の風格などを含めて、やはり心が通っていなければよいものができない。人間力、マインドというものを若い人たちに持ってほしいと思う。そのためには、我々が従来の反省を含めて、若い人たちに熱く語ること。微々たることかもしれないが、それを自分自身としてもやっていきたいと思う。


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